第44回「千早赤阪村、楠木正成の名城を制覇」

久保美智代 フリーアナウンサー 世界遺産ウォッチャー
 

 千早赤阪村は、大阪府で唯一の村。そして、鎌倉・南北朝時代に活躍した楠木正成の生誕地です。地名にもなっている千早城跡や赤阪城跡は正成ゆかりの城で国の史跡になっています。この歴史舞台を訪ねてみました。

 千早城跡は、府内で一番高い金剛山(標高1125m)の中腹にあります。急な道を車で登ると、うっそうとした林に石段が現れました。556段と聞いて少し躊躇しましたが、「せっかく来たんだから」と登り始めました。が、これが苦難の始まりでした。  

  行けども行けどもゴールは見えず。振り返ると、遠くの山の頂に近い高さになっています。夫は8ヵ月の息子を、私はカメラと三脚を抱えています。きつくて足が動かなくなり、引き返そうかと思ったその時、下山者と遭遇しました。「もうすぐ城跡ですよ」。その言葉を励みに、残った力でやっと到着できました。


  太平記によると、千人足らずの兵で、百万の幕府軍を撤退させた要塞とのこと。こんな不便な場所によく城を築いたものです。さすが歴史に名を残す武将。さらにこの道は、金剛山の頂まで続いています。でも、こんなに辛いと分かっていたら、登っていなかったかも…。

 山を下り、赤阪城跡に行くと、広場に石碑がポツンと
立っていました。鎌倉幕府を倒すために挙兵した城ですが、にわか造りのために落城し、千早城へとこもったのでした。辺りに遺構はないけれど、代わりに、『日本の棚田百選』に選ばれている下赤阪の棚田がありました。水面は太陽の反射でまぶしく輝き、山あいに大きくカーブを描くようにどこまでも続いています。

  のどかな景色からは城があったなんて想像もつきません。 しかし、太平記に、城の一方は棚田で守られていたという記述があると聞いた瞬間、当時の風景が頭の中に浮かび上がってきました。歴史の面白さですね。


 今、千早赤阪村では隣の市との合併が議論されています。地名がなくなっても歴史は消えません。楠木正成ゆかりの土地が大事に伝えられていくことを願っています。

 

 
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