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「洞ヶ峠(ほらがとうげ)を決め込む」。羽柴秀吉と明智光秀が対決した山崎の合戦で、双方から加勢を求められた大和の武将・筒井順慶(じゅんけい)は、洞ヶ峠で形勢を見守ったと伝えられ、「日和見主義」を意味するこの言葉ができました。奈良県大和郡山市には筒井という地名が残り、近鉄筒井駅や筒井城址があります。毎年9月には「順慶まつり」が開催されるほどの英雄です。
先日、筒井家の菩提寺である奈良市の伝香寺の住職と知り合う機会があり、面白い話を聞きました。数年前、全国の筒井さんを電話帳で調べてハガキを出し、毎年9月に集まる会を開いているというのです。縁あって、私も飛び入り参加させてもらいました。すると、東は埼玉・所沢から西は大分・別府まで、約15人が座っていました。自己紹介では「○○の筒井です」……皆さん、苗字は同じですから、住んでいる場所が名前のようなもの。その後、自分たちの祖先について語り合い、奈良の刀職人だったと誇らしげに話す年配の男性もいました。歴史に詳しい筒井さんたちが、境内の礎石の由来や順慶の功績について代わる代わる教えてくれました。それによると、日和見主義というネガティブなイメージをもつ順慶ですが、洞ヶ峠に行った事実はなく、実際に行ったのは光秀だったそうです。ご先祖の名誉のため、言葉に熱意がこもっていました。
洞ヶ峠ってどこにあるの? 気になったので、すぐに行ってみました。京都・大阪の府境の国道1号線沿いにありました。でも、当時の面影はなく、ただ小さな茶屋の前に小さな看板がたつだけ。全国的には、そんなものなのですね。
自分の祖先を知るというのは、とても意義のあることです。私の苗字は「久保」ですが、由来を深く考えたことはありませんでした。日和見主義の順慶は、戦国武将としては決断力に欠けたかもしれませんが、後世でも慕われる大物の武将だと思いました。
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