おしゃべりで本音
健康づくりを骨から始めましょう
今月のおしゃべり
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このコーナーは各界でユニークな活動をされている人の生きざまを、
インタビュー形式でお送りしています。
1月
 井上哲郎先生に聞く

井上先生いのうえ てつお

浜松医科大学名誉教授、医療法人宝美会総合青山病院院長・副理事長。
医学博士
1963年東京慈恵会医科大学大学院医学研究科修了
1969年同整形外科講師
1973年同助教授を経て
1976年浜松医科大学整形外科教授
1998年より現職
日本骨代謝学会賞受賞
主な研究領域は骨代謝性疾患 特に骨粗鬆症 股関節外科 腰痛ほか

   

久米川 今日は大変お忙しい中、時間を割いていただきまして、ありがとうございます。
 井上哲郎先生は、江澤郁子先生とともに、「骨の健康づくり委員会」の立ち上げからご活躍いただいているわけでございますが、整形外科、とりわけ骨粗鬆症の分野では、研究者として、また臨床家として我が国の第一人者でいらっしゃいます。なぜ、どのようにしてこの分野に入っていかれたのですか。

 井上 私は東京慈恵会医科大学を1958年に卒業しまして、当初外科を希望していたのですが、当時一番活気があったというか、学術論文も非常にたくさん発表されており、医局の先生方も一日中忙しく走り回っておられたということで、整形外科に入局しました。当時は唾液腺ホルモンの研究がさかんに行われていた時代で、私も唾液腺ホルモン・成長ホルモン・甲状腺ホルモンと骨発育の相関関係の研究に入っていったのですが、それが骨粗鬆症に関心をもつ最初のきっかけになったと思います。

 久米川 当時骨粗鬆症というのはいわばマイナーな研究分野で、研究論文などもほとんどありませんでしたね。
 井上 そうです。骨粗鬆症が最初に整形外科学会で取り上げられたのは1964年のことで、「骨粗鬆症の疫学と臨床」というテーマで慈恵医大の伊丹助教授、大畠講師がこれを担当されました。私も農村や漁村に出かけていって、検診や問診、レントゲン撮影や読影などのお手伝いをしたものです。たくさんの方にお会いしましたし、たくさんのレントゲン写真をみることができました。その読影のポイントなどもこのときに学びました。
 この調査では骨粗鬆症の危険因子、すなわちやせ、カルシウムの摂取不足、運動不足、早期閉経などが取り上げられたのですが、最近になって骨量測定装置の出現によってそれらの事実が裏づけられたと思っています。また慈恵医大式、あるいは伊丹式とよばれる骨萎縮度判定法はこのときに開発されたものです。
 またこのころから動物実験なども含めてさかんに研究を行いました。骨と女性ホルモンとの深いかかわりについて知ったのもこのころです。
 その後、慈恵医大では、66年に伊丹助教授が主任教授に就任されたのを期に、伊丹先生を中心にして骨粗鬆症をはじめとする骨代謝の研究がさかんに行われるようになりまして、私も助手としてますます深くそこにかかわっていくようになったわけです。
 67年に骨の基礎と臨床の研究者が一堂に会する「骨代謝研究会」が設立されましたが、このときようやく我が国において骨組織の研究が緒についたといっていいと思います。

 久米川 その後先生は浜松医大の新設と同時にそちらに移られましたね。
 井上 1976年に浜松医科大学が新設されたのを機にそちらに赴任しました。新設の大学でしたから、まず研究面においては基礎と臨床の間のことから手掛けることにし、臨床研究の面においては、症例数も少なくて遠隔成績もだせないということから、症例報告のみを優先することにしました。そんなことから骨粗鬆症の研究に入っていったわけです。
  その当時も骨粗鬆症といえばまだ非常にマイナーな疾患で、興味をもたれる 研究者も少なかったですし、あまり日の目を見ない研究分野でした。しかし浜松医科大学の先生方は大変よくついてきてくれました。ありがたかったですね。
 その後他科の先生たちからも少しずつ関心がもたれるようになりまして、81年から毎年「骨粗鬆症研究会」が開催され、10年後の91年に日本骨粗鬆症財団が設立されて、「骨粗鬆症研究会」は「日本骨粗鬆症研究会」に改められ、そして99年にはこれが学会に発展しました。私たちの研究も少しずつ日の目を見るようになってきたわけです。

 久米川 その二十数年間、基礎の分野においても、診断や治療薬の分野においても長足の進歩があったといっていいでしょうね。そこに井上先生も大きく貢献してこられたわけですが、今では「骨粗鬆症」という言葉もだいぶ一般の人に知られるようになってきました。最近では骨量の測定装置なども大変簡便なものができて、骨の健康ということに一般の方もだいぶ関心をもたれるようになってきましたね。
 井上 そうですね。ビタミンD製剤を皮切りに治療薬がいろいろ開発されました。骨量をみるのも、最初はレントゲン写真だけに頼っていましたが、やがてより定量的・客観的にということで、メーカーと私どもの共同研究でMD法を開発しました。これは骨粗鬆症の関連性に乏しい中手骨を対象としたもので、その有用性を疑問視する意見もあったのですが、でも、まあこれが近年の骨量測定装置の出現までのつなぎにはなったと思っています。

 久米川 その後先生は民間病院に移られて、今は院長先生として臨床の第一線でご活躍ですね。患者さんの質も大学病院とはだいぶ違いますでしょう。
 井上 98年に総合青山病院に移りました。ここではさまざまな合併症をもったご高齢の患者さんが多くて、大変興味深いですね。大学病院ではご高齢の患者さんは少なかったのですが。研修医も大病院だけでなく開業医や民間病院でも一時期研修をすると大変勉強になると思います。

 久米川 今後の展望といったようなことをお聞かせいただけますか。
 井上 21世紀は予防医学の時代であると考えています。久米川先生とご一緒させていただいている「骨の健康づくり委員会」の仕事もその一貫と考えています。すなわち骨粗鬆症になる前に、成長期から閉経までの人たちを啓発・啓蒙することによって発症を予防したいということですね。
 また今の保険制度では、骨粗鬆症と診断しなければ薬は使えないんですね。
今後はこれが予防にも使えるようになればと考えています。

 久米川 最後に、先生が医療に携わる者として一貫してもっておられる信条、 哲学のようなものがありましたらお聞かせください。患者さんを診療なさるにあたって、特に気をつけておられるようなことがございますか。
 井上 「病気を診ずして病人をみよ」ということを心がけています。患者さんを自分の家族におきかえて、あるいは自分におきかえて、この検査がこの患者さんに必要だろうか、この薬が必要だろうかというふうにまず考えます。そして患者さんの話をじっくり聞いて丁寧に診察させていただきます。一つの病気を治療するというのではなく、患者さんを一人の人格者として全人的にみて診療にあたるようにしています。これは慈恵会医科大学で教えられたことで、浜松医科大学でもこれを教室の基本方針としてやってまいりましたし、現在もそうです。特にご高齢の患者さんというのは、私の体験からいって、しっかり診察してお話をよく聞いてあげるだけで、本当に病状がだいぶよくなられるんですね。
 私たちにとっては、患者さんに信頼され、感謝されるということが最大の喜びです。特に整形外科は非常に長いつき合いの患者さんが多いです。例えば先天性股関節脱臼の患者さんなどでは、子どものときから高齢になるまでずうっと診ていくという患者さんもあります。ですから患者さん一人ひとりのデータをしっかりもって、丁寧なおつきあいをするようにしています。

 久米川 井上先生の今後の夢をお聞かせください。
 井上 やはり日々患者さんと接することが一番の楽しみですね。また「骨の健康づくり委員会」の活動を通して多くの方と触れ合うことも楽しみですね。若いころは研究にあけくれて家にも帰らず、家族にも迷惑をかけました。今は患者さんと接することも生き甲斐かと思っています。私自身、できる限りこの仕事を続けたいと思っています。またそれが私自身の健康の源でもあると考えています。

 久米川 本日はお忙しい中をありがとうございました。

第3回『おしゃべりで本音』 井上哲郎先生と対談を終えて
井上先生と最初にお会いしたのは1978年,25年前のことである。

 骨の科学映画を一緒に製作することでお会いした。井上先生は鹿児島藩御殿医の7代目であった、6代目の父上の影響を受け自然のうちに慈恵医科大学に進まれ、卒業後、整形外科医に進まれた。いわゆる骨粗鬆症の研究・治療のパイオニアのお一人である。
しかも臨床家として、骨を定量的に客観的に見る方法のなかった時代、中指骨のX線写真をデンシトメーターを使って客観的に骨の量を評価するMD法を編み出し、指標として活用された。開発には幾多のご苦労があったとのこと。それ以後一貫して骨の病気の予防、治療で患者と相対してこられた。私自身は80年ごろから井上先生と異なり、骨の細胞から骨に焦点を当てての研究が始まった。と言ったことから、骨の研究について色々教わった。

 今後も出来る限り医者として患者と接していく事を一番の楽しみにしていると 言われた。その間、家族に掛けたご苦労などを交えながらいろいろな話をお伺い した。

  余談ですが、あるガーデニングの雑誌に先生のお庭と私の庭が同じ号に掲載されたこともあり、浅からぬ間柄である。今は骨の健康づくり委員会の世話人として大いにお世話になっている。

マスコット犬