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このコーナーは各界でユニークな活動をされている人の生きざまを、
インタビュー形式でお送りしています。
11月
 大沼 鉄郎氏に聞く

おおぬま てつろう

科学映画制作会社(株)ヨネ・プロダクション社長

1928年生まれ。東京大学経済学部卒業。
在学中より映画に没頭、卒業後記録映画の世界へ。
1958年に制作した科学映画「ミクロの世界」で各種国際賞、
文部大臣賞、NHK賞など受賞、以後科学映画の分野で仕事を続ける。
美術映画、記録映画など作品多数。

   

久米川 今日は大変暑い中をお出でいただきまして、ありがとうございます。
 大沼さんは、最初はドキュメンタリー映画を中心に撮っていて、その後生命科学映画のほうに入っていかれたということですが、東大の経済学部をご卒業だそうですね。そこからなぜまた映画の世界に、しかもドキュメンタリー映画の世界に入っていかれたのでしょうか。

大沼 私が学生のころ、映画サークルがさかんでした。私は勉強はあまりできませんでしたが映画が好きだということで、映画サークルで一生懸命部活みたいなことをやっていました。ちょうど関川秀雄監督の『きけ わだつみの声』の映画化が進んでいたころで、それを手伝ったりしていたんですね。それで卒業したら映画のほうにいきたいなと思っていたんです。もちろん劇映画の道もあったのですが、社会的なドキュメンタリーとか教育科学映画を目にしていましたので、現実に密着して仕事をするにはそっちのほうが向いているんじゃないかという気がして、それでドキュメンタリー映画を始めたんです。
 やってみて、自分が住んでいる世界について何か記録して考えていきたいというような姿勢ですから、それからレンズが肉眼サイズのものか顕微鏡的なものか望遠鏡的なものかという違いはあるけれども、何か対象に向かってそれを映像にしてつかまえて、納得する映像ができたということは自分がその世界をつかまえたという感覚があって、それがうれしかったんですね。

久米川 そうすると生命科学映画もドキュメンタリーも全く一緒であると。
大沼 私はそう思います。特に細胞の世界は実におもしろいですね。
 例えば17世紀にレーウェンフークが顕微鏡を発明したことによって微生物が発見され、ひいてはそれが現代の遺伝子のレベルまでいった。その少し前にはガリレオがレンズを天体に向けたことがきっかけで望遠鏡がつくられ、それが後に地動説から天動説へと大転換をおこすきっかけになった。顕微鏡と望遠鏡は向きが違うだけである意味そっくり同じものですが、レンズを通して何かを見ることによって、従来人間がもっていた概念がひっくりかえるようなことがあり得るんだと。私たちの世界の把握の仕方に大影響を及ぼすことがあるんだと。これはすばらしいことだと。顕微鏡でつかめる世界には、人間が人間のことを考える上ですごく重要なサジェスチョンが含まれているはずだなと思うんですよ。

久米川 戦後は劇映画の最盛期でしたね。そういう中で生命科学というか、ミクロの世界、細胞をのぞいてみようというヨネ・プロダクションの先代社長の小林米作さんたちの仕事はなかなか厳しいものがあったでしょうね。
大沼 大変でしたね。もちろん小林一人ではありませんで、岩波映画とか、短編映画をつくる会社がいくつかありましたし、何人もの方がその道で努力されて、今でもいい仕事をしている方がおられますが、常識を破っていくということではそういう先輩たちはみんな大変な努力をされたと思います。
 小林米作はらい菌を撮影したことで有名ですが、らい菌なんて見えるはずがないと皆に笑われた時代に、何か見えるはずだと言ってらい菌を培養し、しかもフィルム寒天にガラスで挟んで、それを顕微鏡下で見るという画期的なことをやったのです。ふつうは染色して閉じ込めて、乾いた、死んだ像を見ていた。動くものを見ることはできなかったんですね。寒天培養の寒天を非常に薄くして、顕微鏡で見えるような仕掛けなんてそれまでだれもやらなかったんです。

久米川 小林さんの映画の非常にすばらしいところは、自然の流れを見ていこうというところですね。その代表的なものが『生命誕生』ですか、一個の卵から鶏ができていくところをずうっと見続けるという…。あれは実に評価が高かったですね。ストーリーを描きすぎた科学映画、脚本に沿ってつくる映画は何か奥が浅いですね。
大沼 本当のストーリーは自然自身がもっているんですね。

久米川 小林さんの仕事は脚本がないんですね。一年半撮り続けて、出来上がったフィルムからストーリーをつくっていくという感じでしたね。
大沼 そうですね。彼はそういう意味でドキュメンタリストだと思うんです。対象が細胞であるか、動物であるか、人間であるかということですね。彼は科学映画を始める前は、南の島の奥地で原住民と一緒に暮らして、そのドキュメンタリーを撮ったりしていますし、戦時中は従軍カメラマンだったんですね。

久米川 大沼さんはその小林さんとどういう接点で今の世界に入られたんですか。
大沼 私が映画に入ったころ、奇妙なカメラマンがいるなという印象で先輩を見ていたのですが、向うも何かしら私に目をつけたらしくて、呼ばれて、こういうアイデアがあるからシナリオを書けとか言われたりして、それで親子ほど年が違うんですけど、ヨネさんと呼ぶような間柄になりましてね。
 ヨネ・プロが始まる前から顕微鏡映画を一緒に撮ったりしていて、当時は日本が戦後の焼け跡的状況の中ですべて人力に頼っていた時代で、例えば微速度撮影なんかも人手でやっていたんです。助手がストップウオッチをもって、その合図によって10秒ごとにシャッターを切るとか(*註)。 感度のいいフォトメーターもまだなくて、小林の眼力で1コマに何秒露出すればいいとか決めるんです。ちょっと間違えると、現像しても真っ黒で何も出てこないなんてこともよくありました。そのころから一緒に苦労したものですから、小林米作とは何となく戦友というか…。

久米川 その後ヨネ・プロダクションに入られて三十何年、どのくらいのフィルムを完成させられましたか。たくさんの作品がどこかの映画祭で賞を取っていますね。
大沼 作品数でいうと200くらいだと思いますが、かなりのものが賞をいただいています。最近ではピロリを扱ったものが文部大臣賞をいただきました。その前はエイズの問題、それからいろいろな化膿菌の化学療法の問題などを扱っていくつかいい仕事をしています。

久米川 こういう映画は一般の人はほとんど見る機会がないんですね。
大沼 そう多くありません。スポンサーがついている映像が多いですし…。

久米川 発注主がいろんな宣伝用として使うことが多いんですね。国か何かでそういうセンターをつくって、子どもたちがいつでも見られるような場所があればいいですね。
大沼 そうですね。もう少し一般の人が見られるようにしたいですね。いま浦和にフィルムアーカイブの大きなものができていて、NHKなどが力を入れてやっていますが、そこにはうちの映像はほとんど納めてあって、行けば見られるようにはなっています。しかしまだポピュラーではありませんね。

久米川 生命科学とかドキュメンタリーとか、立派な作品がたくさんあるんですから、もっと教育に生かすべきではないかなと。
 ぼく自身1980年ごろから骨の映画をヨネ・プロさんとかいろんなところと一緒につくって、特別講議などで使っていますが、組織とか解剖の講議を、静的なスライドではなくて映画で動的に見ると学生はものすごく感激するんですね。例えば破骨細胞が癒合して多核になっていく過程などはものすごくドラマティックですからね。
 学部学生の教育に、あるいは中高生の時代からそういうのを見るような機会、見られるような作品、これは教育上非常に大切ですね。ゆとりある教育なんていうのであれば、こういう題材がもっと世の中にあっていいんじゃないかと思います。そういうチャンスとか題材を全く与えない。先生方にもそういう経験がない。子どもたちはそこで野放しになってしまう。家庭に帰ればコンピュータゲームですからね。

大沼 そうですね。私どもでこれからホームページを立ち上げて、高校生や大学生に微速度撮影をやってもらおうと企画しているところです。細胞をじっとみつめてみませんかと。1mmの1/100にも満たない細胞が何億と集まって私たちの体をつくっているわけですが、その一つひとつがこんなに真剣に生きているのかと思えば、生命というこんなにきれいな奇跡的な存在をいためるようなことはできなくなると思うんです。中学生や高校生が人を殺してしまうというような騒ぎの中で、生命の見直しをやりましょうと。
 そういうことも含めて、命を観るということはとてもおもしろいですね。

久米川 そういう中で三十何年、ドキュメンタリーや科学映画をつくってこられた。なぜですか。経済的には皆さん絶対恵まれてないですね。
大沼 恵まれているとは言えないですね。やっぱりミクロの世界のおもしろさにひかれているということでしょうか。

久米川 研究室で2晩徹夜とか、どこかで合宿が続くとか、生活もどちらかというと不規則でしょう。健康ということではどういうことに気をつけておられますか。
大沼 特別なことは何もありません。やはりおもしろがってやっているというのが健康の元じゃないですか。好きなことをやれるというのが一番幸せなんでしょうね。それに今はデジタルの時代になっていろんな面で大変楽になりましたしね。

久米川 大沼さんの今後の大きな目標は何ですか。お幾つになられました?
大沼 74歳になりました。これからはうちで生命科学の映像をやっている人たちがもう少し落ちついて仕事ができるようにしたいということが一つあります。
 それからこれまでの生命科学のいろいろな映像を、今まではつくりっぱなしになっていたのですが、これをうまく組み立て直して、教育のためというのではなくて、自分たちがミクロの世界についてどういう考えをもったか、それをどういうふうに鑑賞したかというものを、個々の材料ではなくてもっと統合した形で見てもらえるようなものをつくれないかなという希望があります。
 これは久米川先生の業績についてのフィルムをつくったときに、そういう大きな業績はまとめ方によって非常におもしろくなるということがわかりましたので、自分たちの三十何年の業績についても考えて、業績集というのではなくて、細胞をこういう角度で観るとこういうふうにおもしろいよとか、微速度撮影のために細胞を培養する実験のおもしろさとか、そういうものをそれぞれの映像作品にしてみんなに見てもらう、そういうこともあるかなと考えています。

久米川 今日はお忙しい中をどうもありがとうございました。
(*微速度撮影:映画フィルムは被写体の動きを1秒24コマの画像に撮影し、映写も1秒24コマでスクリーンに再現する。もし1時間かかる細胞分裂を1分で見ようとすれば、2.5秒に1コマの微速度撮影をしなくてはならない。ビデオの場合は1秒30コマの画像。)

第2回『おしゃべりで本音』 大沼鉄郎さんと対談を終えて
 ニワトリ胚が受精卵から成長する様子を捉えた科学映画、生命誕生が米プロの原点である。通常映画制作にあたり脚本が持ち込まれ、この部分にこんな映像が欲しいのだがといわれる。しかし、米プロの場合は脚本がまったくない、主題のみである。あるとき、骨細胞の映画をとるこになった。骨の中には2万/mm3の細胞が存在し、運動による骨の少しゆがみがその周りにある体液に流れをおこし、細胞が活性化する。骨粗すう症の予防に運動が大切と言われるゆえんである。この細胞をテーマにして映画を作るとき、米プロ側から出た言葉、今回の主題は<ぬれ>ですねの一言。体液にしたっている細胞、骨の構造をちゃんととらえた一言でした。最初から筋書きのないドラマであるから、あっと驚く作品がうまれるのでしょう。これからも大沼社長を中心に生の映像、本物の映画がつくられと期待したい。

マスコット犬大沼鉄郎氏コラム

コラム2002年7月号