| 湯沢です。初めにお詫びしなければならないのは眼が悪く本が読めないので、今日のテーマに資料を提供できません、軽く聞き流してください。若いとき「死生観」という言葉を聴いたとき、何で「死」のほうが先にあるのか、生死観、命の生まれる「生」のほうが先ではないかと考えましたが、先輩に聞いても誰も明確に答えてくれませんでした。死生観というのはいろんな視点があると思いますが、皆さんの話は、「生とは何か」、「命とは」、「生命とは」、「死とは何か」、「何故死ぬのか」、
「死後の世界は・・・」といった“What?”“ Why?”の視点が多いように思います。私は視点を変えて「どう生きるか」、「どう死ぬか」という“How to”の視点で見たいと思います。
今日お集まりの皆さんの中で、年齢からいうと私が一番死に近いのではないか思います。それなので私が一番死について考えねばならぬと思いますが、なぜか私は生まれたときから死について身近に感じなかったし、考えもしませんでした。実は私は両親を病気で早くに亡くしておりまして、小さいときから死を考えなければならなかったのでしょうが、死については死そのものよりも、死のために起こった環境の変化のほうが体験として強く感じられたのです。私の祖母は非常にしっかりした人で、常に言われたのが「お前、生き抜け」ということで尻を叩かれた。それで何とか今まで生きているのではないかと思いますが、その祖母から私は「お前は生まれたときから生き運がいいんだ」といわれた、ちょっと表現はおかしいが「死神に見放されている」と。
何故かといいますと、私は大正12年8月生まれです。ご承知のように大正12年9月に関東大震災がありました。その寸前に上野の近くの下町で生まれたのです。当時下町では赤ん坊の湯浴みをさせるのに台所に大きい盥を置いて、そこにお湯を入れて体を洗った。祖母の話ですと、私がお湯で体を洗った後タオルで拭いているときにグラッときた。その瞬間棚からものがガラガラ落ちてきたが、間一髪で助かった。ということで「お前はいのち運がある」と頭から教え込まれた。本人がそう信じていますと、おかしなことに私のこれまでの一生の中で結構死に神に見放された事があります。2,3申し上げます。
一つは私は学徒出陣で、砲兵隊で招集されたのですが、本来でしたら東京に住んでいると砲兵隊では世田谷に行くはずですが、湯沢という名前が名簿の後ろにあったからでしょうか、金沢の砲兵隊に入れられました。当時金沢の連隊は日本でも有数な厳しい軍隊で、そこで徹底的に鍛えられました。
強い軍隊ということで、事変が起きたときすぐに満州へ連隊全部が渡りました。私も見習士官のはしくれだったのですが、幸か不幸か私を含め数名が千葉の教育隊に残されました。
あとで聞いた話ですが、満州へ行った兵隊はほとんど戦死した、それも朝鮮海峡で沈められての戦死だったそうです。千葉へやられてよかった、これもいのち運がよかった一つです。
フジフイルムに入社して何年か経って、最後は子会社の医療関係の会社で8年間、新しいレントゲン機械の販売などに日夜苦労したせいでしょうか、ある日突然事務所で倒れました。これからが私のいのち運のよいところで、実は私の会社の同じブロックに有名な救急病院があったのですが、いつもの頭痛だといって車で家に帰りました。一晩寝たのですが、家内がどうも普段と違うというので、自宅の前の病院に行ったところ、すぐに連れて来いということになりました。そこの脳外科の先生は非常に著名な名医で、おかげで私は命を助かりました。
20年前のことでした。当時くも膜下出血は生死は五分五分で、現に私と同じ会社で仕事をした販売課長はくも膜下出血で亡くなりました。それを入院中に聞かされ、つくづく名医にかかった幸運を思った次第です。そのほかいくつか死に神に見放された例があって、死よりも生のほう、生き抜くことのほうに私は生涯偏よってきたのかなと思いますが、80歳近くになって、緑内障でほとんど目が見えなくなったこのときも良い先生にめぐりあって、一時よくなりました。ご承知のように緑内障は治らないといわれています。そこで運の悪いことに良い先生が病弱で病院に来られなくなって、今では皆さんのお顔がはっきり見えない。若いときには「生とは」、「死とは」は考えなかったのですが、80近くなって目が見えない、足、腰が悪い老いの身で、生きる価値について思い悩みました。
何故生きる価値があるのか、この歳で悩みました。いただいた資料に桧原先生との話がありましたが、老後は人の為になるのが生きる価値だということを読んだのですが、目が悪く、腰が痛くて何で人のために尽くせるか、人の厄介になるだけだと思いました。これをいまさら誰に相談することもならず、一人悩んでおりました。
私は若い人の会合に出るのが好きで、後輩のある会に出席したとき後輩の一人から「湯沢さん元気ですね。私も湯沢さんの元気を見て、私も元気になりました」と聞かされました。その時ふと私は「そうだ、生き抜くこと自身に生きる価値があるんじゃないか」。その後輩の何気なく言ってくれたことばの中にそれを感じました。昔祖母から言われた生き抜くことの大事さ、それ自身に生きる価値があるのだ、それは消極的かもしれませんが、まあ生き抜くことをやろうじゃないかと考えました。
伊藤さんから今日のテーマをいただいたとき、本当は辞退しようかと思ったのですが、皆さんからいい話をうかがいたいのでぜひ出席したい、そのためにテレビやラジオで聞ける生とか死の話を少しでも頭に残しておこうと思って、出来る範囲で聞いておりました。その中から2,3話させていただきます。
最近「特攻」というドキュメンタリー映画が上映された。その中で、アメリカ兵が特攻を見て、「驚いた、アメリカ軍隊は生きるために戦うが、日本兵は死ぬために戦っている。」と言うのが印象に残っております。昔、私たちはどういわれていたかというと「お国のためにとか、社会のためにとか、家庭のために死ぬのだ、」といわれていました。アメリカ人は国のためよりも自己のために捕虜になっても生きるのだ、と。同じ生きる、死ぬのでも目的であり、手段であり、結果であり、生きる、死ぬがいろいろな面で言われております。
又NHKのテレビで第9条を中心として2時間延々とやっておりましたが、その中でほとんどの人が、戦争はやるべきではない、生きることが一番大事だという中で、ある論客がこういいました。「ガンジーの無抵抗主義というのは植民地を防ぐために命を捧げたではないか、命より植民地化を防ぐことを大事にしたではないか」といい、私もちょっと詰まりました。前に三水会で憲法の話が出たとき、無抵抗主義、攻められたら逃げて、無抵抗でいいのではないかということだったと思いますが、これも永遠のテーマかと思いました。もうひとつ長谷川利行という画家がおります。彼が言うのは「生きるなんてちっぽけなことだ。絵を画く事に一生懸命になればいいのだ」と。これも「オヤ」と思ったけれど印象に残っています。
そういうことでテレビ、ラジオで聞いておりますと、生きる、死ぬということは見るサイド、目的のためか、手段のためか、結果のためかによって判断がいろいろ違うのではないか、こういう風に感じられて、生きる、死ぬということはこういうことだと感じられました、もう少しいろいろな面から見るべきではなかろうか。
最後に頭に残ったことですが、半月ほど前、京都五山の実況放送で宗教学者の山折さんがこんなことを言っておりました。「人生五十年の時代の問題は生と死だ。しかし人生八十年となるとその間に老いと病が入る。」 なるほどと思いました。今、生と死を考えるより老いと病を考えたほうがよいのではないか。私もぼけたり、物忘れがひどくなったり、果ては認知症になるのはいやです。何とかなりたくないという心境です。老人の病は、自分でも経験がありますが一日一日がわからない。今日よくても明日の朝起きるとあそこが痛い、眩暈がする。この老いの病をどう克服するか。それに一生懸命になっているのが現状です。老いと病がこれから問題になるのではないか。
最後締めくくりですが、私は死ぬときは大往生で死にたい。最近私の先輩、友人、知人3人の方が大往生されている。大往生というのは、前の日普通にベッドに入いり、翌朝永眠している。こういう大往生を私もしたいなということで、私の死生観を終わらせていただきます。どうも有難うございました。
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