| 1.この著者のこの本を選んだ理由
与えられた「この1冊とわたしの今の死生観」というテーマについて、私がこの著者の本を選んだのは次のような理由からである。
・ 著者が遺伝学者であり、生命科学者であって「死」と「死生観」を探るには最も 相応しい人だと思ったこと。
・難病に冒されて何度となく「死」を考えたにも関わらず、科学者としての考え方 がぶれていないこと。
・常日頃思っている「私の死生観」と一致するところが多いこと。
また40冊を数える著書の内から特にこの本を選んだのは、次の理由からである。
・「われわれはなぜ死ぬのか」という問題に正面から取り組み、それを<死の生命 科学>の切り口から解き明かしている。
・それを後で示すように10章に分けて詳細に説明し、説得性あるものにしている。
2.著者柳澤桂子博士の紹介
1938年東京に生まれ、お茶の水女子大学理学部植物学科を卒業、婚約者の柳澤嘉一郎氏(現在筑波大学名誉教授)とともにコロンビア大学大学院に留学、現地で結婚し、2人とも遺伝学で博士号を受ける。帰国後慶応大学医学部助手となる。この間長男、長女を出産、三菱化成生命科学研究所副主任研究員として勤務、マウスを使った発生学の研究で世界に先駆ける実績を挙げ、東北大学から理学博士号を受ける。1963年から原因不明の頭痛、腹痛、嘔吐、めまいを繰り返すようになる。1983年この間の病気休職により勤務先を解雇される。神秘体験も味わう。以後卵巣摘出、胆嚢摘出手術を繰り返す。この間も激しい嘔吐と腹痛、頭痛、めまいと非常に苦しい症状が一週間続き、次の一週間は寝たり起きたり、第三週でようやく元に戻るということが一ヶ月周期で廻ってくる。大学病院をいくつも巡って入院し、精密検査を受けたが病名が判らずに苦しむ。1998年苦しさと絶望から尊厳死を決意し、深刻な話し合いの末夫と子供から栄養を摂取するチューブを外す同意を得たが、インターネットで症状を知った金沢大学の医師から自分が研究している「周期性嘔吐症候群」という脳幹の病気ではないかと指摘された。それには抗うつ剤が効くといういうことで服用し、小康を得て死を免れた。一方狭心症がひどくなり歩行が出来なくなったが、脳外科のMRI検査で脳脊髄液の漏れが判明し、治療が行われるようになった。
こうした43年に及ぶ苦しみの中で、病気の合間を縫って専門の遺伝学、生命科学を中心に執筆を進め、「生命とは何か」を問う書物を世に出し続けている。これまでに出版した著書は『卵が私になるまで』『われわれはなぜ死ぬのか』『癒されて生きる』『生命の秘密』『生きて死ぬ智慧』『いのちの日記』など40冊を越え、数々の賞を受賞している。また「柳澤桂子 いのちの窓」というホームページを開設している。
・生きている考えている座っている全存在を受け止めている
・生きるという悲しいことを我はする草木も虫も鳥もするなり
・今生は痛みに耐えて生き抜こう後生は白い椿になりたい
このように「いのち」を詠った歌集も出している。
3.『われわれはなぜ死ぬのか』に書かれていること
「死はかぎりなき崩壊である。…それは生きているものにとっては、漆黒の闇であり、底知れず恐ろしいものであろう。それでもなお人間は死というものを見つめてきた。」(第1章 死−見るもおぞましきもの)以下「人間はいつ死を知ったか」「生の終わりの多様性」「死を考えるための生命の歴史」「死の起源と進化」「細胞分裂と細胞死」「性と死」「死に向けて時を刻む」「すりへっていく生命」「死とは何か」と続く。
筆者はこのなかで細菌のような単細胞生物には老化も死もないが、多細胞動物は時とともに細胞が老化し、死にいたるという。
「人間の老化も、その根底にあるのは、からだを構成している細胞の老化である。老化のいきつく果ては細胞の死である。たくさんの細胞が死ねば個体が死ぬ。」「死は生の終着点のように思われているが、決してそのようなものではない。死は生を支え、生を生み出す。受精の際には、たくさんの精子が死に、残された一つの精子によって生命が誕生する。…生命の歴史のなかでは、生と死はおなじ価値をもつ。生きている細胞より、死んだ細胞の数の方がずっと多いという意味において、それは死の歴史であるともいえる。…多細胞生物にとって、生きるとは、少しずつ死ぬことである。私たちは死に向かって行進する果てしない隊列である。」
われわれは「死」について、「死んでしまえば一卷の終わり、それでお終い」と云ったり、逆に「肉体は亡くなっても魂は残る」と考えたりする。これに対して筆者は「体細胞は、その個体が死ぬと消滅してしまうが、生殖細胞は、別の生殖細胞と融合(受精)し、子供という新たな個体となって生き残る。…生命の連続性は生殖細胞の連続性によって維持されている、そのような意味で、生殖細胞は不死である。」と指摘している。個体としての人間は死ぬが、子孫という形をとって人間は連綿として生き続けると主張する。どのように科学や医学が発達しても、人間は「老」「病」「死」を避けることはできない。「生」と「死」という問題は自分自身という個体をとると、「断続性」は避けられないが、身近には自分に繋がる子孫、広い意味では人間と民族は「継続性」をもって生き続ける。これが私が筆者に教えられ、勇気を与えられたことである。
「このように見てくると、私たちの意識している死というものは、生物学的な死とはかなり異質であることがわかる。私たちの意識する死は人間の精神回路のなかにある死であり、心理的な死である。…死は生命の歴史とともに民族の歴史、家系の歴史、家族の歴史、個人の歴史すべてを包含するものである。」
最終章の締めの言葉は次のようになっている。
「私たちは、死を運命づけられてこの世に生まれてきた。しかし、その死を刑罰として受け止めるのではなく、永遠の開放として、安らぎの訪れとして受け入れることが出来るはずである。また、死の運命を背負わされた囚人として生きるのではなく、誇りと希望をもって自分にあたえられた時間を燃焼し尽くすこともできるはずである。今日も私たちは死に向かって一日歩んだ。夕日に向かってその一日を思うとき、死への一日としての重みにたえる時を刻んだということができるであろうか。」
4.「神」というものへの理解
「生」と「死」を考える場合、「神」の問題を除外することはできない。柳澤さんはこのことをどう考えているのだろうか。これについては『いのちの日記』−神の前に、神とともに、神なしに生きる−に示されている。
・たそがれ黄昏が静かに星を 産むとき刻に深く祈りぬ神のなき世に
これに関連する章はこの短歌とともに始まっている。「人格神を超越する「三次過程」の認識によって、神のない時代に入るというのはどういうことだろうか」という問いかけに始まり、「神の前に、神とともに、神なしに生きる」という言葉に続く。これはドイツの神学者ディトリッヒ・ボンヘッファーが云ったことである。ボンヘッファーは1906年生まれの神学者で、20世紀を代表する神学者の一人と云われているが、ヒットラー批判を行ってドイツ帝国教会と縁を切って告白教会を組織し、反ナチス教会運動を始めた。告白教会は非合法化され、ボンヘッファーは大学教授の資格を剥奪され、逮捕される。そしてヒットラー暗殺計画の疑いにより1945年4月9日に絞首刑に処せられた。ヒットラーが自殺する3週間前のことである。続いて兄、義兄も死刑に処せられた。ボンヘッファーが獄中で書いて家族に宛てた手紙はいまだに解明されていない秘密のルートを通って密かに獄外に持ち出された。その中には獄中での深い思索を通じて確立されたボンヘッファーの思想が盛られている。
「道徳学的・政治学的・自然科学的な作業仮説としての神は、廃棄され、克服された。だが、哲学的・宗教的な作業仮説としての神も同様だ(フォイエルバッハー)。これらの作業仮説は倒れるにまかせ、あるいは、とにかく可能な限り広くこれらを排除することは、知的誠実さの一つなのだ。(中略)
神は、われわれが神なしに生活を処理できるものとして生きねばならないことをわれわれに知らせる(中略)
神という作業仮説なしに、この世で生きるようにさせる神こそ、われわれが絶えずその前に立っている神なのだ。神の前で、神とともに、われわれは神なしに生きる。
神の不在。それはボンヘッファーにとって、たいご大悟と呼ぶに等しい冷徹なまでの発見だった」 (『いのちの日記』より引用)
柳澤さんはボンヘッファーに共感して次のように云う。
「私たちは、何か大きな力、いけい畏敬の念を抱かせる存在を感じる神経回路を遺伝的にもっているのではないか。……私たち小さい弱い人間にとって、自然はまさにそのような存在である。…それが、ボンヘッファーがイエスを滅してもなおこころに残った神だったのではなかろうか。ボンヘッファーならずとも、私たちも、このような偉大なものの力を感じる。卑小すぎる自己に対して悠久にしてむきゆう無窮なる大自然。人生のはかなさ、さだめのつね常ならんこの世、その移ろいまろ転ぶ速さに対し、数かぎりなくいのちを産み出し続ける途方もない時間と空間。この大きな宇宙の中にあって、それだけがまさに真実であり、神と呼ばれるものにふさわしい。」
(同上書より引用)
ボンヘッファーと同じく柳澤さんも生死の淵に立たされながらこの考えに到達したのであろう。私はそのような苦しみを味わうことなく、また深い学問的素養があるわけでない。その意味ではただ乗りの感じがするが、柳澤さんが人格神に代って自然と宇宙を位置づけていることは、前段の「生」と「死」の考え方と相俟って私の「死生観」と重なり合うものである。
|