「両親をなくし、次は私ということで、死は身近なものになり、それを機会に死に関する本も何冊か読み、考えるようにもなったのは1990年頃のことである。最もインパクトを受けた本1冊といえば、現役の検事総長のガンによる死ということで、当時も話題にもなった次の伊藤氏の著書となる:
「人は死ねばゴミになる」伊藤栄樹 1988年 新潮社
著者は元検事総長。検事総長在任中に盲腸ガンとガン性腹膜炎の告知を受けたあと、1988年63歳で死去する3週間前までの10ヶ月の手記。
以下そのサマリー:
...主治医のA先生に、「正月過ぎまで生きられるでしょうか」と尋ねてみたが、イエスの返事はついに得られなかった。そこで、どうせ残り少ない命なら、後に残る家族のため、親しい友人たちのため、私の発病から死までを努めて冷静、客観的に書きとめておこう...(本文より)という前書きで始まる。
そして、伊藤氏の死生観が、「私自身、間もなく間違いなくやってくる自分の死をどのように納得するかということである」という前置きの後、以下のように夫人との対話という形でまとめられている:
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菩提寺は持っているが、仏教を信じているわけでない。 |
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神とか仏とか自分を超えたところに存在するものすがって心の慰めを得ようとは思わない。 |
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検事という職業柄もあり、科学的、合理的な思考のほうが受け入れやすい。 |
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人の生命は、細胞の有機的結合により生み出され、維持されている。何らかの原因で、その細胞に不具合、組み合わせに不適合が生じて、細胞が死に始めると、人間の体を維持できなくなり 、死がやってくる。 |
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私のガンも‘神の思し召’しなどでなく、科学的に説明できるもの。 |
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人は死んだ瞬間、ただの物質、つまりホコリと同じものになる。 |
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死の向こうに、死者の世界とか霊界はない。死んでしまったら、当人は、まったくゴミみたいなも のになり、意識は残らない。 |
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人間だけが死後魂が残ると考えるのは、同じく生命を持つ他の動物、植物に対しても僭越。 |
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だから、残された家族のためにやっておきたいことは、なんとしてもいのちのある間にやってお かなければ、と思う。死と到来との競争で。 |
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死んでいく当人はゴミになると呑気なことはいえるが、この世に残る人の立場はまったく別である。私だって身近な人の死は悲しい。死んでいく者は、残る人たちのこの心情を思い、生きている 間に、できる限りこれに答えるようにすべき。 |
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最近読んだ遠藤周作氏は、『眠れぬ夜に読む本』の冒頭で、「我々に先立って死んだ愛する者と、死によって再会できるという希望は,大きな悦びになる筈だ」としている。 |
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しかし、私は乱暴な言い方をすれば、死んだ後までこの世の絆を引きずらされてはかなわんな あ、という気さえする。 |
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キリスト教者である氏と、無宗教の私との感覚の差というべきか。 |
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私は、ホスピスでないこの病院の他の患者と違い、治ることのない患者なのである。 |
ということで、入退院を繰り返されながら、死の2ヶ月前まで友人の葬儀委員長などを含め検事 総長としての職務をこなされ、残された家族への経済的な手当に努められている。
その後2年前に7才年下の家内に人間ドックで腎臓ガンが見つかり、左腎臓の摘出手術を受けた。幸い初期のもので、予後は順調であるが、循環器系のガンであり転移の恐れは永久にある。
父よりも4才年下であった亡き母も「私はお父さんよりも絶対先には死ねない(死なない)」というのが口癖であったが、父より10年前に逝ってしまった。山田風太郎の「死言状」に言うように、死は大半偶然来るものなのであろう。
いまや私にとって死は間違いでなく、他人の死でなく、自分の死の問題となってきている。いまの私の死生観といえば、「いつ死んでもよい。なるべく家内よりも前に。」と勝手なことを思うものの、「今日これから、といわれたら、ちょっと待ってほしい。」といいたくなるのが、偽らざるところである。
昨日の私は今日の私でなくなる日がやってくる。心身の今の状態は、後10年は続かないことは確かである。しかし、それを承知の上で、今日のような明日があると想定して、今日を生きているのである。まだまだ自分の死を受容していないのである。父母のようにある日突然意識不明になるのであれば、その必要がないのかもしれないが。。。
今の死後の世界についての考えは、伊藤氏のそれとほぼ同じである。付け加えるとすれば、もし人間に魂というものがあるとすれば、それはあくまでも残された人々の心の中に意識として残るのだと思う。それも永遠にではなく、曾孫など私を知らない人ばかりの時代になれば、もうどこにもなくなってしまう有限なものなのであろう。
遺言(下手な延命はしない、葬式は身内のみ、お経は可、ただし俗名、墓は両親と同じ寺、その他経済的なことなど)だけは、10年日記帳に書き、毎年更新している。
その他にも興味深かった本以下紹介する:
1)「死言状」 山田風太郎 1993年 富士見書房
・ 死の準備は、大別して、自分の死の覚悟と、自分が愛する者たちへの配慮とにわけられる。死に方の種類については、なんとも対策の立てようがない。死は推理小説のラストのごとく、本人にとってもっとも意外な形でやってくる。
しかも、人生の大事は大半が必然に来るのに,最大事である死は大半偶然に来るのだから。
さらに根本的に、死は「無」である。 「無」にたいしては、いかなる準備もなすすべはない。恐れようが、悲しもうが、死は何の斟酌もなく無の世界へ---無という自覚も存在しない世界へ運び去るのである。ということで、私は、今のところ死への心の準備も、子孫への配慮も無用と考えている。生命保険へさえ加入していない。
・ 死言状曰く、
路傍の石がひとつ水に落ちる。無数の足が、忙しげにそのそばを通り過ぎていく。映像にすればただ1秒。自分が消滅したあと、空も地上もまったく同じとは実に何たる怪事。人は死んで3日たてば、300年前に死んだのと同じ状態になる。最愛の人が死んだ日にも、人は晩飯を食う。つまり本人の死は他人にとって愛犬の死よりもなんでもないことなのである。
・ いかなる人間も、臨終前に臨終の心象を知ることはできない。いかなる人間も臨終後に臨終の心象を語ることはできない。
死の1秒前の生者「おれを忘れるな。忘れてくれるな!」
死の1秒後の死者「おれを忘れろ。忘れてくれ!」
行く人「やれやれ」
送る人「やれやれ」
・ ここでは紹介しないが、同じ著者による「人間臨終図巻」上、下、1986年、徳間書店、も興味深い
2)「死をめぐる50章」週刊朝日編 1998年
・ 人は生まれたときから死へ向かって歩いている。まったく平等に死はすべての人の前途にある。問題は死を迎えるとき、私の父のように涙しなければならない無残な人生、あるいは苦しみや痛みにのたうつような最後であってならないということでないか。精一杯生き、それなりの答えを得、自分で納得して死んでゆけるような人生が私の夢である。死後の世界があるとは思っていない。無に帰して忘れられるのがいい。しかし、父のような死は、誰の身の上であろうともう見たくない。本人はどんない辛かったことか。いかに生き得たかが死の位置けをする。不当な死を見ると血が騒ぐ(澤地久枝、1930年生まれ、ノンフィクション作家)。
・ 老いは起承転結の転である。人生で言えば、若い頃からやってきたことに終止符を打ち、まったく違うことをやってみることである。違う生活をしてみることである。問題は結である。いつどんな形で完結するか分からない。だからいつ結んでもよいように、毎日を平静な気持ちでいきたいと思う。いつまでも権力や名声に執着して、老害を撒き散らしたくない。ただ目標だけはいつも持っていたい。それはエイジ シュートである(大橋巨泉、1934年生まれ、テレビタレント)。
・ 配偶者との死別は、だれにもいつかはあることである。それに直面した人の「悲しみ」は深く、その内容もさまざまで、その人でなければ分からない。
「悲しみ」 はいつも個別的で、「悲しいときは身一つみ」 ということわざは、そのような時のために生まれたものであろうか。私の場合には、まず「妻の後を追いたい」という衝動であり,次に襲ってきたのは「後悔の波」の連続である。これだけは、経験のない人には分かってもらえない。自分一人で背負っていくしかない悲しみで。解決するには時間だけだ。他人からの慰めの便り、電話などは時には腹立たしく、それは生傷に塩をかけるような残酷に感じられる場合があるのだ(倉嶋厚、1924年生まれ,元気象台長,気象キャスター)。
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