「生命の暗号、」の著者村上和雄筑波大学教授は、高血圧の黒幕である酵素レニンの遺伝子の解読に成功した著名な遺伝学者、屡々ノーベル賞候補になった人である。 この書物によると、一つの生命体を構成する個々の細胞は、それぞれ核があり、その中に糖とリン酸からなるDNAがある。 DNAは1グラムの2千億分の1、1ミリの50万分の1という超極微細なもので、この中に遺伝情報を伝える分子A(アデニン),T(チミン),C(シトシン),G(グアニン)という四つの塩基からなる化学文字が詰まっている。
人間も一個の受精卵が胎内で細胞分裂を繰り返し、出生時には3兆個の細胞に、成長して成人になる頃は、普通60兆個の細胞からなっている。この細胞一つ一つにはDNAがあり、遺伝子情報が折り畳まれて収納されている。しかも、遺伝子にはあらゆる生物の歴史が刻まれた凡そ30億組の情報があるが、実際に動いている(オン)遺伝子は全体の僅か3%で、他の大部分は眠って(オフ)活動していない。
しかも、現在の科学では、これらの遺伝子情報を解読出来ているのは僅かである。
DNAは何の力で一部は動き、他は眠ったままなのか。塩基文字は誰が書いたのか、命の設計図としての遺伝子を動かしているのは何か、不可解、神秘の世界。ここに生命の不思議があると云う。この著「生命の暗号」では、DNA遺伝子を動かしている「何か」がある。村上教授は遺伝子のスイッチをオンにしたりオフにしたりしている源は、「 Something Greatであり、これが生命の源泉である」と云っている。そして遺伝子のDNAの構造モデルを提出したフランシス・クリック著「DNAには魂がある」から引用、遺伝子は物質として人間の連続性を伝えていくが、その源となる「生きる」力は別次元で考えなくてはならないとして、科学の力を超越したものであろうと結論付けている。実に感動的な書物である。ここで、今の自分の死生観を纏めてみよう。
先ず、生命の源は何処にあるかを考えて観ると、村上教授の云うSomething Greatとは、人智を越える「気」であると思う。「気」とは万物を動かす活力であり、我々の認識を超越したSuper Power、物体を進化・創造させる活力、静から動へのエネルギー源、これが「気」であると、私は思っている。
生物は「モノ」(DNAをもつ細胞の構成物体)と「気」からなる。{生きる}というは「モノ」が「気」により働かされていることであり、「気」が遺伝子情報でDNAに働き掛けた時「生きている」と云うのである。生物が死ぬと云うのは、モノ(物体)と「気」が分離してしまうこと、「気」が「物体」に作用しなくなったことであり、モノとして遺伝子がオフになった時、それを動かしている「気」が遺伝子から分離した時である。この考えは二宮尊徳の宇宙観・世界観を纏めた「三才報徳金毛録」によっている。宇宙万物は太極一元からなり、これが清・濁、陰・陽、体・気へと分化、生成、発展したとの理を信ずることから出ているものである。
人間の死も、凡そ60兆個の細胞の活動が停止し、その全遺伝子の活動がオフになった時である。この時、活力としての「気」は人体から分離して「千の風」に乗って宇宙に彷徨している。その「気」は霊・魂であり、永遠に存在している。これは科学を超越した、人間意識をも超越した世界であると考える。
死により「気」の抜けた人間は廃物で亡骸(なきがら)は遺伝子オフの単なる化学物質の物体となる。死んだ細胞は、「気」を分離してしまって元の体には戻らない。しかし、その「気」や核となっていたDNAは、再び別の細胞に宿り、その「気」の活力によって新しい命として次の世代に生き続けるであろう。
これは自然の輪廻の法則と尊徳も云っているし、「生命の暗号」にも自然の摂理に従って生きようと結ばれている。正に同感である。
私の死生観は“肉体は死んでも「気」は何時か何処かで蘇生する”と確信。だから、自分は今世では十分に気力を漲らせ健康(楽しく健やかの意)に過ごし、肉体が死んだ後の来世、つまり、自分の体から「気」が分離した時は、「自分は何時か何処かで蘇生する」と信じ、現世の営みに感謝し、あらゆる徳に報いる行動し、善行・積善に努めたい。これが人の道であり、自分の進むべき道と心得ている。 |