「 この1冊と私の死生観」
                 

大角修著       日本人の死者の書 
               ー往生要集の〈あの世〉と〈この世〉
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木村 勉  (76)
1995年(株)日新火災海上保険、関連会社退任後、ボランティアで牛乳の共同購入団体の業務に従事、併せてNPO法人子どものいのちを守る会の事務局長、(有)ブックス・エフエフ代表取締役就任、現在に至る

  「往生要集」は、恵心僧都源信(942年〜1017年)が著したもので、全体は、厭離穢土、欣求浄土、極楽の証拠、正修念仏、助念の方法、別時念仏、念仏の利益、念仏の証拠、往生の諸業、
問答料簡の10編からなる。これら項目を羅列すると、 第一の厭離穢土の意味は、「三界は、穢れて安らぎはないので、厭い離れるべきである」という。穢土は七つに分かれ、1地獄、2餓鬼、3畜生、4阿修羅、5人、6天、全体をまとめて7惣結とする。


@の地獄は、等活地獄・黒縄地獄・衆合地獄・叫喚地獄・大叫喚地獄・焦熱地獄・大焦熱地獄・無間地獄の八つである。Aの餓鬼界、Bの畜生界、Cの阿修羅界、Eの天界の記述は簡単で、Dの人間界こそ厭離穢土の眼目の中心で「人間界には三つの相(不浄の相) (苦の相) (無常の相)があり、それをはっきり観察すべきだ」という。

 第二の欣求浄土は、極楽浄土に往生するための手引き書。
 第三の極楽の証拠は、なぜ阿弥陀仏の極楽への往生を願うかという問答集。
 第四の正修念仏は、正しく念仏を修する方法を説く。
 第五の助念の方法は、口で念仏を唱えるだけでなく、念ずることの重要性を説く。
 第六の別時念仏は、特別に日時を定めて修する念仏のことで、生死の一大事を決する
臨終の作法が最も重要である。

 第七の念仏の利益は、罪障消滅、神仏の冥加などの利益。     
 第八の念仏の証拠は、念仏を勧める根拠。            
 第九の往生の諸業は、極楽往生を説く諸教典や修行。       
 第十の問答料簡は、まとめとして問答による疑問を解く。     
 
 上記の書で著者は「釈迦は"無我"を主張し、不滅の霊魂のような『我』は存在しないとした。(中略)個々の人間の『自我』と認識されるものも多くの要素が集合したものであって、個別の実体があるのではない。では、輪廻転生がどうしておこるのか。霊魂がなければ死後の世界もないのが道理ではないか。仏教では、死後については『無記』としている」とまとめているが、「『輪廻』については、初期の経典から当然のこととして語られている。輪廻の原語サンサーラは『回り巡ること』また『流れ』という意味で、固定した自分があるように見えても、変化は常に生じており、自分の今と将来を形成するのは、自分の『おこない』『カルマンー業(ゴウ)』の集積が決定する。この業の集積は、もしかしたら、死によって断たれないのかも知れない。これが来世まで流れ込んでゆくとしたら、因果応報はこの世だけけに止まらない。しかし、死後の報いというものがあるかどうかは分からない。だから現世ですべておしまいなら、その日その日をせいぜい楽しく生きればよい。誰にどんな迷惑をかけようが、死んだ自分には関係ない。

 このように来世観が失われると、刹那主義を封じる倫理の基礎が失われ、生き方の底が抜けてしまうと、説くのである。」「往生要集」は、地獄極楽を眼前に見せ、仏教的な日本人の倫理の根底を形作ったものであったのだろう。

U 私の死生観
 先日、50台の女性から「『たましひ』というのは何でしょう」と質問されました。咄嗟に「人間の肉体は、全て脳の働きー精神活動でコントロールされていますね。処が『こころ』という言葉があり、これも脳の働きであるようでもあるが、どうもそれだけではないと思う。精神活動の一部として『意思の働き』があるが、『こころ』は、その『意思』を突き動かす奥底の働きのように思う。『思い』『希望』も真剣で必死な『こころ』が根底にないと実現には至らないのではありませんか。このような『こころ』のことを『たましひ』と呼んでよいのではないかと思います。人が死んだとき、この『たましひ』だけは、肉体から離れて何処かへ行く。記憶は、脳の海馬というところに蓄えられていると証明されている様ですから、肉体が死ねば、記憶する機能も働かず『たましひ』には記憶はないのではないかと思います。(例外的には横死した場合があるかもしれない)」と答えたのです。
 
 往生要集では、地獄の恐ろしさを説き続けますが、仏教では、一方ここから抜け出させてくれる地蔵菩薩を用意してくれています。また、地獄の鬼にも「仏性」があるとも説きます。これは、「悉有仏性」という死後の平等を保障した仏教の成果ではないでしょうか。
 
 死生観というと死後だけに論議が偏りがちです。しかし、元はといえば生物が生まれるのはどうしてなのか、その中でも人間だけが『こころ』または『たましひ』を持っているのか、は大きな疑問です。進化論や遺伝学によれば、霊長類に至る進化の科学的説明で一応の納得は出来ます。しかし、受精した1個の細胞の分裂からヒトとなる過程は、科学では完全には解明されないのではないかと思います。さらに肉体的形質は、親子、兄弟姉妹に共通するという遺伝子分析は確かであるとしても、『こころ』または『たましひ』は全く異なっていると考えられます。異なっていることによる人類社会の進化・変化が存在できるというメリットは認められるものの、原因の説明にはなりません。

 親鸞は、「如来は微塵世界に遍満する」と説いたそうですが、われわれが触ることも見る事も出来ない『たましひ』(如来)が、宇宙の至る所にあるということを喝破したのかもしれません。その『たましひ』のどれかが受精卵の成長のある時期に、その受精卵に入って、ヒトとして成長したと考えたらどうでしょうか。そして、肉体が死ぬと同時に『たましひ』が何処かに戻るのではないかと、私は考えています。こう考えると、『たましひ』にも「世界」があるかどうかは分かりませんが、現世での「縁」は、『たましひ』のなせるワザかも知れないとすら思えてきます。親子夫婦、兄弟姉妹、友人間の親密さや、逆に相克、争い、相性の善し悪しといわれるものもその所為かも知れません。

 単純な偶然の産物とは到底思えませんが、また、因果応報とか輪廻転生という言葉でかたづけられない、このような成り行きを、何が、誰が動かしているのかという疑問が次に出てきます。
それを私は"Samething Great"と呼ぶしかありません。それは"God"でもあり、「仏陀」でもあり、その全てのものでもある、という以上には言葉で表すことは出来ない存在、いや存在でもありません。私の脳と心の産物なのです。 


当日の補足
輪廻転生について、それを体験した書物を紹介します。「前世療法」(PHP出版1991年1月。「前世療法A」(1993年8月)ブライアン・L・ワイス著、山川紘矢・亜希子訳)という本です(今は文庫本になっています)
 著者は、1996年コロンビア大学卒業、エール大学医学部、1970年医学博士、現在(1990)
マイアミ大学病院精神科主席教授、科学者として、また医者としての思考方法を身につけ、科学の手法で証明されないものは、決して信じなかった、という。以下ポイントだけ・・・
 「しかし、キャサリンという患者を18ヶ月の間、症状を改善させようと従来の治療法を試みたが、改善されないので催眠療法を試した。深い催眠状態に入ったキャサリンは自分の過去世を思い出し、それが彼女の病気の原因であった。その「退行催眠」を二、三ヶ月続けた結果、神経症の症状はすっかり消えた。
 1回目の催眠で、彼女は紀元前1568年の自分の人生を語り、また、別の時代、現在の彼女の姪が、その当時彼女の娘であることがあったとも語った。それらの話はファンタジーではないかと懐疑的に感じたが、かすかな心の中の声は、心を開いてデータを集めようと考え催眠療法を続けることにし、学生時代の比較宗教学の教科書を読み返してみた。
著者は
“旧約聖書にも新約聖書にも、輪廻転生のことは書かれていたのだそうだ。紀元325年、時のローマ皇帝コンスタンチン大帝は、その母ヘレナとともに、新約聖書の輪廻転生に関する記述を削除した。紀元553年にコンスタンチンノーブルで開催された第2回宗教会議において、この削除が正式に認められ、輪廻転生の概念は異端であると宣言されたのであった。人類の救済は輪廻転生をくり返すことによって行われるという考え方は、巨大化しつつあった教会の力を弱めるものだと、彼らは考えたのである。しかし、初めから、ちゃんとこの概念は存在していて、初期のキリスト教の先達は、輪廻転生の概念を受け入れていた。グノーシス派の人々―アレクサンドリアのクレメンス(150−215)やオリゲネス(185−254)、聖ジェローム(340−420)等は、自分達は昔も生き、再び生まれてくると信じていた”と述べ、関係する科学論文を渉猟し、多くの論文、資料を発見し、どの証拠も圧倒的に輪廻転生を支持するものであったが、キャサリンの催眠中の話が真実とは思えなかったので、著者はまだ疑いが晴れなかった。
 しかし、ある時彼女は催眠中に、もちろん患者の誰にも話したことのないワイルの父親のこと、息子が心臓病で死んだことなどを話した、それは疑いなく事実と一致していたので、「誰が教えてくれたのか?」と聞くと、彼女は「マスターの精霊たちです。彼らは私が肉体を持って86回、生まれていると言っています」と答えた。この時以来、著者は”私の人生はすっかり変わった”と書きます。
 この療法が報告されて以来、米国では多くの精神科医がこの「退行催眠」を試み、患者が同じような「前世」を語り、治療効果があったと報告されているそうです。

仏教思想にもあり、このようなレポートがあっても、私は、すべての人が輪廻転生の渦中にあるとは断定できないと思います。ある特殊な条件が必要なのかもしれません。また、今後もそれが「科学的に証明できる」とは信じていません。しかし、輪廻転生が事実あり得るということを否定することは、偏狭な考えに陥ることになるのではないかと懸念します。「たましひ」「気」あるいは「ダークマター」などと言われる存在を信じるとすれば、その行く末、「この世」との関係を何らかの形で考えざるを得ません。
その一つが「輪廻転生」なのだろうと思う次第です。                                   以上


8月29日鎌倉例会に出席して
 先ずは、伊藤公博さん森毅一さんに深甚な感謝の言葉を捧げなければなりません。
立派な、静かな設備・部屋を設営していただき、綿密な進行と行き届いた計画によって
素晴らしい会合が持てたと思います。
 皆さんのレポートは、それぞれが真剣に問題に取り組まれたご様子が感じられ、内容にもたいへん勉強になったことが多かったと感じます。もともと、結論を求めるテーマでは無いのですから、各人の現在の死生観をより豊にする場として、有意義であればと思っていましたが、その通りの成果が得られたのではないでしょうか。
 死と生の問題は、我々が永遠の眠りにつくまでの逃れられない大問題です。これに真っ正面から取り組んだ今回のテーマ設定は、三水会にとって画期的なことで、会員のレベルの高さを誇っても良いでしようし、それなりの年代に達している自覚の産物なのだと思いました。
 文学散歩にはご一緒できませんでしたのが、心残りです。

 
 
氏  名
紹介本とテーマ
 
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岡本 好廣 われわれは何故死ぬのか   柳沢桂子著
栗生 晴夫 人は死ねばゴミになる   伊藤栄樹著
森   毅一 万物の死   小原秀男編
小寺 隆三 秘花   瀬戸内寂聴著
木村  勉 日本人の死者の書―往生要集の
(あの世)と(この世)
大角修著
湯沢 勝利 “How to”の視点からの死生観  
伊藤 公胤 西行花伝   辻邦生著
平井  保 夜と霧   ヴィクトール・E・フランクル著
野口 幹夫 主を覚え、 死を忘れるな   雨宮栄一著
堀添 勝身 民族の潜在意識は神話を見よ  
小関  栄 生命の暗号上、下   村上和雄著
鈴木  登 たった一度の人生だから  日野原重明・星野富弘 対談