鎌倉文学散歩
      鎌倉は狭い山あいと同じく狭い湾に囲まれた地ですが日本文学とは
      深い凝縮した関係のある場所です。半日の散策で、二つの異なった
      世界をいり混ぜて案内します。

                                         

平家物語からの太平記

明治大賞昭和の文学

 

 

 鎌倉は、雅な「古都」のイメージがありますが、一皮向けば、1192年から1333年まで、鎌倉幕府は、陰謀と裏切り、一族の殺戮という、血なまぐさい記憶の地であります。
和田塚、足達一族が焼かれた甘縄神社、質素な頼朝塚、その歌哀れその人哀れと読まれた実朝碑、そして北条高時の腹きりやぐらで、150年の幕府滅亡の姿を見てまわりました。

 武士達は佛教に救いを求めました。鎌倉五山といわれるように、禅が鎌倉仏教のように思われがちでしたが、中期以降は、易道といわれる庶民宗教である法然の浄土宗にも心が傾いていったことがわかります。鎌倉にはめずらしいはずれの地にありながら大伽藍となった光明寺にも足を伸ばしてその姿をみました。一方幕府にたてつく日蓮にも民衆は従ったのですが、庇護されなかったものですから、日蓮宗は小さな寺寺でした。

 KKRわかみやのあたりは岩倉具視遣欧視察団に同行した医師長与専斎のサナトリウム鎌倉海浜院が立てられたところでした。漱石の言う「ハイカラな鎌倉」はここからといえます。
漱石、高浜虚子、大仏次郎、川端康成、吉屋信子、鎌倉はどこを歩いても明治大正昭和の文学者の足跡をたどれます。

 三水会の森さんが高校までここに住まわれて、材木座あたりに来た時、ここは学校から帰るとふんどし一丁で海へ行った道だと教えてくれました。
ちなみに今回はKKRわかみやも昼のレストランバレンシアもみな森さんにお世話になりました。

案内役 野口幹夫