| 1著者について:
1905年生まれ、1997年没。少壮の精神医学者として嘱目され、ウィーンで研究していた彼は、美しい妻と2人の子供に恵まれ、平和な生活が続いていた。しかし、彼の一家は他のユダヤ人と共にナチスに逮捕され、アウシュヴィッツ等に送られた。そしてここで彼の両親、妻、子供たちは、或いはガスで殺され、或いは餓死した。彼だけが収容所の凄惨な生活を経て、92歳まで生き残ることができた。
2本書の内容:<第1段階 収容>
@親衛隊員はすべてのものを取り上げ、シャワー室に追い立てた。フランクルたちは今や毛髪も無い、裸の体以外なにひとつ持っていない。これまでの人生との目に見える絆など残っていなかった。
A反応の第1段階〜この先どうなるのだろう、どんな結末が待っているのだろうという好奇心があった。そしてやがて、人間はなにごとにも慣れる存在ということを知る。
<第2段階 収容所生活>
@反応の第2段階〜収容され数日乃至数週間たつと、非収容者は、仲間が何度も地べたに殴り倒されても無関心に、何も感じずに眺めるようになった。
A収容所に入れられ、何かをして自己実現する道を断たれるという、思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況にあっても、愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができると知った。
Bおおかたの被収容者の心を悩ませていたのは、収容所を生きしのぐことができるか、という問いだった。生きしのげないのなら、この苦しみのすべてには意味がない、というわけだ。しかし、フランクルの心をさいなやんでいたのはこれとは逆の、すなわち、フランクルたちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。もしも無意味だとしたら、収容所を生きしのぐことに意味などない。「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」(ニーチェ)のだ。一人ひとりの人間にそなわっているかけがえのなさは、意識されたとたん、人間が生きるということ、生きつづけるということにたいして担っている責任の重さを、まざまざと気づかせる。自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。
<第3段階 収容所からの解放>
@わたしたちは、まさに嬉しいとはどういうことか、忘れていた。すべては非現実で、不確かで、ただの夢のように感じられた。
A わたしたちは何時間も、何日も食べた。それが深夜に及ぶこともざらだった。ようやく舌が滑らかになり、そして語りはじめるのだった。何時間もかかる彼の物語を。
B 強制収容所の人間を精神的にしっかりさせるためには、人生が自分を待っている、誰かが自分を待っていると、常に思いださせることが重要だった。ところがどうだ、人によっては、自分を待つ者はもう一人もいないことを思い知らなければならなかったのだ。
私の今の死生観 H19.8
1. 私は心情的に、伝統的な死生観を認めています。
(1)伝統的な日本人の霊魂観:死は霊魂と肉体の分離と考える。荒魂=新魂(あらみたま)ほど祟りやすく、生前果たせなかった場所まで行って、そこへ入り込んで、自分の恨みを果たしていく。しかしそれは、自然と浄化され、昇華していく。浄化する手段は宗教的実践。(『日本人の死生観』五来 重・高野山大、大谷大教授)
(2)日本人の漠たる宗教的心情は、四つの特徴をもつ。(柳田國男)
−1@死者は、死してもなおこの国土の中に留まり、霊は遠くへは行かない。
A顕幽二界、この世とあの世の交通が繁く、
B臨終の際の念願が、死後には必ず達成されると考えていたこと、
C死してもなお、二度、三度、生まれかわって、しかも、同じ事業を続けられると考える。
『先祖の話』
―2
@「先祖教」の信者に欠くべからざる条件は、死者に対する「マツリ」 を怠らぬことである。追善供養、法事といっても、その本質は、仏教とは関係ない、伝統的な「マツリ」である。『日本の祭り』
A祭られる主人公は、祭る側と血のつながりのある死者の霊であり、死者の霊は、祭る側の誠意によって次第に清まり、最後は「カミ」となる。そして「カミ」は、生きている子孫に恩寵を垂れる。『神道と民俗学』
2.私の使命感〜フランクルに触発されて考えたこと
「一人ひとりの人間にそなわっているかけがえのなさは、意識されたとたん、人間が生きるということ、生きつづけるということにたいして担っている責任の重さを、まざまざと気づかせる」
(V.E.フランクル)
(1)私は、「家」を継ぐため、自分が生かされていると感じています。(私は三男ですが、兄たちが亡くなり、残された唯一の「平井」です。)
(2)私は「縁」を大事にし、世の役に立つことをします。
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