T.はじめに−インドとの出会いと想い
○ 始めての外遊先…半世紀前インドに18日間滞在
私が始めてインドを訪れたのは1960年、ニューデリーで開かれた国際協同組合同盟のゼミナールに出席するためであった。開会式でジャワハルラル・ネルー首相が参加者の前で1時間にわたって演説された。当時ネルー首相は「非同盟政策」と「平和五原則」を唱道する世界的指導者で、その格調高い講演に感激した。
しかし一歩外に出ると多くの路上生活者が居て、一斉に「バクシーシュ」(お恵みを!)を手を出すのに驚いた。こうした表と裏の落差は今も変わらない。後を継いだ娘のインデラ・ガンジー、息子のラジーブ・ガンジー首相とも暗殺され、悲劇の一族と呼ばれている。
○「群盲象を撫でる」はインドを象徴する言葉
どの面に触れるかによって評価が極端に違う
腹に触った人、足に触った人、鼻に触った人、耳に触った人、尾に触った人、それぞれに感触が違うし、それらを合わせてもインドの統一したイメージにならない
統一的な理解が難しい国であり、結果として主観的な見方にならざるを得ない。従ってステレオタイプのインド観は危険である。
インド人にとってもどれが本当のインドかは判らないのではないかと思われるが、また彼らにとってはそういうことを考える必要もないであろう。
○インド亜大陸にまたがる大国
現在のインドは東西2900q南北3200q、面積は3200kuである。しかし1947年以前はパキスタン、バングラディシュもインドに含まれていて、東西4000qを越え、面積は4200kuに及んでいた。
1947年にイギリスの植民地を脱して独立したが、その経過を辿ると、次のようになる。
即ち1600年にイギリスの東インド会社が進出してインドを支配下に治め、公私一体になって植民地化を進めた。長い間の圧政に抗して1858年にセボイ(傭兵)の反乱が起きてムガール帝国の再建が図られたが、組織的力量に欠けていたため鎮圧された。 これが原因で東インド会社は解散し、イギリス政府による植民地支配に変わった。イギリスはインド中央政府に総督を派遣し、そのもとに562の藩王国を支配して巧妙な分割統治を行った。このことが1947年の独立の形態に影響し、宗教的対立からパキスタンが分離独立することになった。東西パキスタンは人種も言語も異なり、両方の間が3000qも離れているので矛盾が激化し、東側の独立戦争にインドが荷担し、1971年にバングラディシュとして独立した。
カシミールの帰属も独立の後遺症として、未だに紛争の種になっている。このように3つの国はインドとしてもとは1つであった。そのためインド人はインド亜大陸全体をインドとしてとらえる傾向がある。インドは人口は9億5千万人に近く、そのなかに7つの民族と312の言語(20が公用語)が存在する国なので、国にというよりも1つの大陸に近い感じである。
・統計と資料が意味をなさない国
極端に言えばインドの全体を示す正確な統計はない。州毎に統計の取り方が違うし、大多数の貧困層は統計の外に置かれている。そのため日本流の「統計に基づく判断」は無理である。
インドは「平均」では理解できない国であり、無理に平均化して考えるとその中に矛盾が消し込まれてしまう。中世と超近代が共存する国であり、凸凹のまま理解することが必要である。
U.インドの過去・現在・未来と在りがままに向き合う 【目次に戻る】
1.ガンジス川のようなインドの社会 −矛盾・混沌・不透明
○世界の四大文明の1つ−インダス文明
紀元前4000年に遡るインダス文明はパキスタンに属しているが、もともとインド亜大陸に発生したものである。もともとはドラビダ民族中心の国であったが、北から入ってきたアーリヤ民族がドラビダ民族を南に追いやった。そのため両民族の間には未だにしこりが残っている。
インドの社会基盤が民族と宗教の縦割りとカースト制の横割りの重層構造にあることはよく知られている。バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラという4つのカーストの他に、指定カーストと呼ばれる最下層の人々がいる。この人々は長い間不可触賤民と呼ばれて差別されてきた。
「カースト制は今後どうなるか」は大きな問題だが、遠い将来のことは別にして簡単になくなることは考えにくい。何故なら人口の82%を占めるヒンドゥー教では、カースト制は神が決めた神聖な掟であるとされ、代々世襲されているものであるからである。憲法でもカースト制による差別はなくすとしているものの、カースト制そのものの廃止は謳っていない。
こうした社会的背景のもとインドでは上位のカーストや富裕者は進んで喜捨をすることを当然と考え、下のカーストで貧しい人々は施しを受けるのは当然と考えている。施しと「バクシーシュ」(お恵みを!)の文化が渾然一体になっているのがインドの文化であり、「働かざる者も喰うべし、喰わせるべし」ということが当然とされる。人によって「何でもありと何にもなし」が共存しているのがインド社会の特徴だと云える。
・最先端の教育体系と低い識字人口の共存
世界のIT技術の最先端を行くインド工科大学(IIT)にはインド中の俊英が集まり、ここを目指しての激烈な受験競争は日本の比ではないと云われている。
一方義務教育は州任せにされ、制度はあっても機能せず、ユネスコの調査では世界の8億人いるという文盲者の内60%がインド人だということである。
こうした中で奨励されているのが、“Each one,Teach one”ということで、子供が学校で習ってきた文字を親に教えるといったことが行われている。
・表の「世俗主義」と裏の「ヒンドゥ−至上主義」
インドは憲法で国家の形態を規定している。それによると「社会主義の世俗的民主主義国家」とされ、政治に於ける非宗教主義を国是としている。しかし実際には社会のヒンドゥー教への傾斜が大きいように思われる。
「NHKスペーシャル」で[アラハバードの大沐浴]の模様を特集したのを見てその観を強くした。12年に1度のイベントとのことだが、ガンジス河畔のベナレス、アラハバードで1ヶ月にわたって沐浴の行事が行われ、150万人の人が集まるという。東京ドーム300個分の面積のところに浮き橋を15本の浮き橋を架け、既存のホテル、宿泊施設の他、仮設宿泊所等を用意し、費用は33億円に及ぶという。国の援助無しにはできないことのように思われる。ヒンドゥー教徒にはガンジス川で沐浴して神に抱かれ、転生して再び人間に生まれ変わるように祈ることが人生最大の念願のようである。
それを見ていて遠藤周作の『深い河』に秘められた深遠な世界を思い出した。
“ゆたゆたとを有限を無限につなぐ河
灰となるべきひとの舟ゆく”
(蒔田さくら子「折々のうた」 より)
ベナレスの河畔で死人を焼いて灰をガンジス川に撒くための舟が下っていく光景を詠ったこの短歌を重ね合わせて、その感をますます深くした。
○「インドは変わったが、インド人は変わらない」
・経済改革で変わるほどインド人は柔でない
このところのインドの経済の発展は目覚ましいものがる。IT技術では世界を完全にリードし、インドの技術なしには廻らないようになっている。しかし経済発展で社会全体が変わるほどインドは単純でない。依然としてインドは哲学的である。カレーのコマーシャルだったかと思うが「インド人もびっくり」という言葉が流行ったことがある。しかしインド人は簡単には驚かない。喜怒哀楽を表に出さないインド人を驚かすのは大変なことである。
また日本のカレーは本場インドのカレーとは似て非なるものである。
・悠久に生きる輪廻、転生、解脱の思想
ヒンドゥー教では人間は前世で行った行為(カルマ)によって今の姿があるという因果応報が信じられている。云うところの「輪廻」の思想である。そのため今世で善行を積んで良き「転生」を願う。 「輪廻」「転生」という人間の宿命から脱するためには一切の行為を否定して「無為」で思惟に徹した哲学的生活を送ることになる。これが「解脱」であり、「アラハバードの大沐浴」に出てきた仙人のような生き方である。手を曲げ、片足を挙げたまま微動だにせず、寝るときもその姿勢を崩さないという。また雪と氷の山頂の岩場の上で裸に近い状態で座っていて、痛くも寒くもないとのことだから将に修行の局地である。
2.るつぼのなかにあるインドの政治
−世俗主義、超党派連立、中央と地方の背反
・国民会議派の一党支配から連立政権時代へ
インデラ・ガンジー、ラジブ・ガンジーの親子の首相が宗教対立のため相次いで暗殺された上、汚職などがあってインド政界は国民会議派の一党支配から連立政権時代に入った。特に1998年にヒンドゥー至上主義のインド人民党中心の政権ができると、強いインドを標榜して核実験を強行して国際的にはもとより国内的にも不安をかき立てた。2002年に国民会議派を中心に20会派による統一進歩同盟が政権を握り、マンモハン・シン首相の登場で漸く安定した政権になった。経済学博士で大学教授であったシン氏はシク教徒ととして始めての首相である。インド人は議論好きで政治好きであり、現実的な政権運営にたけている。現政権も共産党の閣外協力を得るなど、絶妙な左右のバランスをとって運営している。
・ 中央政府と州政府との対立、離反
イギリスの植民地時代の影響で中央政府と州政府の間には根強い対立があり、いわば中央、地方ばらばらの関係が続いている。インドは29の州と6つの直轄地からなっており、外交、国防、通貨、関税、通信以外は州政府の権限になっている。中央、地方とも強力な官僚制度で運営されていて、行政改革が進んでいないのが現状である。地方分散傾向が強まる中で州毎の格差が増大している。相対的に云えば北部の混乱と南部の発展が目立っている。
・多発するテロ、農民暴動、労働争議
イスラム過激派とヒンドゥ−過激派のテロは一時よりは鎮静化しているものの、毎年のように列車爆破事件や繁華街でのテロ事件が起きている。
また農地収用を収用して経済特区を作ろうという動きに反対する農民蜂起が各地で起こり、 政府は400件の経済特区計画の全てを凍結せざるを得なくなっている。ストライキも頻発して日系企業もその対策に苦慮している。
・周囲の環境が育てた外交能力
インド人は元来外交に優れた能力をもっているが、旧ソ連、中国、アメリカを手玉にとった外交手腕はなかなかのものである。特に西にイスラム諸国、北に中国を控え、南に海のシルクロ−ドと呼ばれるインド洋海域という地勢的条件を活かして、アメリカとの外交交渉では有利な条件を手中に収めている。その典型が2006年3月のブッシュ大統領が印度を訪れて締結した「米印核協力協定」で、CTBT(包括的核実験禁止条約)NPT(核拡散防止条約)を認めることなく、IAEAの査察も最小限に抑えるなど、アメリカからダブルスタンダードの譲歩を引き出して締結し世界をあっと云わせた。
・「謙譲の美徳」は軽蔑のもと
インド人は「自己主張しないのは自信がないからだ」として、会議で発言しない日本人を軽蔑する。日本流の「謙譲の美徳」はインドでは通用しない。
アジアで開かれる国際会議ではインド人が口角泡を飛ばして発言し、終わると別のインド人が喋りだす、日本人は英語のハンディもあってなかなか発言できない。こうしたことから国際会議を運営する議長の役割は「インド人を黙らせ、日本人に喋らせることだ」とさえ云われる。
・ 中国と日本…対インド外交の巧拙
日本の「外交音痴」はインドでは密かに笑われているという。
一方中国のインドへの急接近が注目されている。2005年に温家宝首相が訪印した折には、特別のおみやげを持って行ってインド人を喜ばせた。インドがシッキム王国を組み入れて州としたのを認めてこなかったのを、わざわざシッキム州を入れた地図に刷り直して持参し、記者団に披露したことである。このことでニュー・デリ−は親中国に沸き立つたと云われる。
その後に訪問した小泉首相は2日の滞在なので国賓扱いを遠慮するという日本流の謙譲の美徳を発揮したため、マスコミの扱いも小さく、しかもインドと微妙な関係にあるパキスタン訪問を兼ねていたため、現地では2日間のインド通過と報道されるという状況で、温家宝首相の訪印とは対照的な扱いであったという。外交王国インドに負けまいと努力した中国に対して、日本は外交音痴をさらけ出した形になった。
3.中世的農業からIT企業まで含むインドの経済
−原始的農法、遅れた社会資本、最先端のIT企業
○昔ながらの農村と最先端技術のギャップ
首都ニューデリーからさほど遠くない所でも農村に入ると、電気も水道もないところがある。農地は痩せるに任せ、定期的に干ばつと水害が襲う。
農民は地主と高利貸しに収奪されて首が回らなくなって、自殺者も出る。州によって違いがあるが、独立前500を越していた藩王国の名残が地方にあり、カースト制の束縛とともに貧富の差が激しい。長年「インド型社会主義」を標榜してきたことから公的部門による事業独占と規制を招き、官僚による過度の保護政策が工業の発展を遅らせてきた。社会資本は貧弱なまま放置され、停電の頻発と道路整備の立ち遅れがアキレス腱になっている。
・経済危機で断行された「新経済政策」
1991年の湾岸戦争を契機に原油の価格高騰と海外からの送金停止、国内の預金の海外流出という事態に見舞われ、インド経済はデフォルト寸前に追い込まれた。ラジブ・ガンジー首相の暗殺も重なり、インドの前途に暗雲が立ち込めた。IMFは対インド融資の返済延期を決め、日本も加わったインド援助国会議が開かれて対策が協議された。
新しく政権を担当したマラシムハ・ラオ首相は「新経済政策」を掲げて、許認可制度の大幅緩和、公営独占事業の民営化、市場開放と外資導入、輸出補助金の撤廃と関税率の引き下げなど、大胆な市場経済の導入を行った。この時財務次官として腕を振るったのが現在のマンモハン・シン首相である。これを契機にインド経済は大きく方向転換した。
○製鉄とITに特化した現在の産業構造
タタ、ビルラ、リライアンス、マヒントラを始めとするインドの財閥は巨大な力をもっている。それに加えてアメリカを中心に世界に根をはっているのが印僑である。167万人居るとされるアメリカの印僑は10年間に2.8倍に増えており、国内の財閥と共にインド経済を支える力になっている。 インド系移民は全世界に1億7千万人いると云われるが、かっての出稼ぎ移民から最近では知能移民主体に変わってきている。アメリカの科学者の12%、NASAの技術者の28%、イギリスの医者の30%以上がインド人、若しくはインド系であると云われている。
・ ITはインドの頭脳を活かす最高のわざ
インドは第1次産業から第2次産業を跳び越えて、一気に第3次産業へ進むという世界的にも例のない展開を見せた国である。インド人の手になる製造業は製鉄を除いてはあまり発展していない。
伝統的に労働を厭う傾向にあるインド人エリートの習性が、ハードの代わりにソフトの発展を促したということができるかも知れない。今でもインドのITの力は大きいが、近い将来インドのITが世界の心臓になっていくことが予想される。
現在インドのIT事業は時差を活かしてアメリカのビジネスを補完しており、アメリカで退社時にインドへ転送した仕事が翌朝出勤したときには補完、完了して届くようになっている。また消費者向けのコールセンターの多くもインドへ移され、あたかもアメリカ国内で応答しているような状況で処理されている。いずれもインド人の優れた数理能力と英語力が可能にしているのである。
・ 人口大国、IT大国インドが世界を変える
インドの人口増加は今後も続き、人口の半数を占める25才以下の若者の層は大きな力である。また急速に育つ中流層の消費力も新しい魅力である。
こうした途切れることのない成長力を維持できるのは、アジアではインド、中国の2つの大国である。 従って次のアジアはインドと中国が中心になるのは間違いない。
インド人のゼロを発見した数理能力と英才教育による人材育成は、今後のIT社会に大きく貢献するであろう。 ITボーイというニックネームを冠されたラジブ・ネルー首相の先見性と、インド工科大学(IIT)を始めとする最先端の大学を設置した英断がインドの将来展望を切り開いていくことになろう。
V.日本はどうインドと向き合っていくか 【目次に戻る】
1.高揚化するインドと斜陽化する日本
○「脱亜入欧」の日本と「軸亜対欧」のインド
明治以降日本は福沢諭吉に代表されるように「脱亜入欧」を是として国の運営を行ってきた。これに対して現在のインドは「軸亜対欧」を基本のスタンスとして、アメリカとEUに対応して行こうとしている。アジアにしっかりと足を下ろして、その上で欧米に目を向けていこうというものである。これが欧米諸国に独自の存在感として映るだけでなく、ASEAN諸国には頼もしい存在として印象づけている。
これからすると最近の日本の姿勢は「脱亜入欧」どころか、「脱亜入米」と映るようである。
今後のアジアは中国とインドの動向によって勢力図が大きく変わっていく。中国は今後日本よりもインドとの関係を重視して接近していくものと思われる。「軸亜対欧」は中国の行動指針でもある。インドとの関係を強めることで中国は日本を牽制し、アメリカに対してもより大きな力で対抗することができる。
経済的にはインドは中国の工業製品、農産物の巨大市場になる。インドの側から考えても中国は日本とは比べものにならない程大きな相互作用を生み出すことができる。長い国境線を共有することは、平和の時代にはお互いにメリットが享受される。
このところ両国の関係は中国側からの働きかけが強く、これに対して外交巧者のインドがどのような対応を示すか注目されるところである。インドは「ルック・イースト」を標榜しているが、主要な対象はASEAN諸国であり、連携を強めながら将来の共同体構築を視野に入れたものである。この面で島国であるための日本の意識のずれは大きい。このままではインドと中国を中心とする日本抜きの連合が進んでいく恐れがある。
2.インドとの真の友好関係づくり
〇 インドと日本は補完し合える
一昨年トリパーティ前インド大使の講演を聞く機会があった。大使はインドは親日的であり、今後両国の間には相互補完の関係を構築することができると述べていた。そして最大の面は優れた日本の製造技術とインドのIT技術を組み合わせることだと主張していた。
相互補完の観点で日本とインドの社会特性と得意分野を上げると、次のようである。
[社会特性]としては、日本が ・人口減少型社会 ・高齢者社会 ・成熟型社会であるのに対して、インドは ・人口増大型社会 ・若年者社会 ・成長型社会である。
[得意分野]としては、日本が ・製造業の技術 ・勤勉、組織力 ・格差の少ない教育水準などを指摘できるのに対して、インドは ・IT技術 ・数理能力、個人の力
・超エリート教育などに秀でた面をもっている。
確かに2つの国の特性と得意分野を補完し合えば、単独ではできないことが可能になる。両国は中国、韓国、ロシアのように敵味方に分かれて戦争したことがなく、大使の云うようにインドは親日的である。距離的には遠いが、それ以上に遠いアメリカがITを通じてインドと日々交流していることを考えると何でもないことである。中国がインドに急接近しようとしていることを考えると、日本も早く行動を起こすべきである。
現在インドに対するODA援助は日本が最大であるが、ヒンドゥー教の「施しの文化」の影響が強いインドに対して、このことで恩着せがましく振る舞うのことがあってはならない。インドとの間で真の友好関係を構築していくためには相手が欧米先進国とは違うことを念頭に置いて、配慮した進め方をしなければならない。 (2007/4/18 三水会)
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