第20回 草原で思うこと
                 酪農学園大学酪農学部食品科学科助教授 石井 智美 氏
                                             
プロフィール 

 

  子供の頃、いつかモンゴルの馬が駆ける草原に立ってみたいと思っていました。その夢が叶い今日に至ったのですが、モンゴルで考えてきたことの1つに、「人は何を食べてきたのだろうか」ということがあります。今回はそのお話を。

 今日私たち日本人の食生活は豊かで、ワールドカップのように国際色豊かな食材が並んでいます。これは第二次大戦後に起きた大変化で、我々の祖先はお腹いっぱいお米を食べることを願って営々と田を植えてきました。
ところが今日お米は余り、お米からのエネルギー摂取量は総摂取熱量の半分です。かつては7〜8割のエネルギーをお米から得ていました。そうした中で、伝統的な日本の食といっても世代によって描くイメージは異なったものである気がします。食生活は、当然経済、政治などの変化を受け変化するものではありますが。

 モンゴル遊牧民の食は、家畜の恵である乳製品、肉に依存する割合が高く、野菜や果物をほとんど摂らない食生活で、近代栄養学の説くバランスの良い食生活とは対極です。遊牧民は野菜、果物は栽培していないので、ほとんど食べていません。ですが夏には多少の野生のネギ類、野いちご、きのこを取っています。野菜について彼らが胸を張って言うのです「野菜は草原の草と同じで、草を食べる家畜を我々人が食べているので同じことだ」と。

 草原での生活形態として遊牧は最適で、耕すことは地面に傷をつけることと同じで、草原が乾燥化し砂漠になることを何より恐れてきました。同じ土地で続けて畑を作ることが出来ないのがモンゴルの土壌なのです。そこから馬に乗る遊牧は格好良く、畑を耕す農耕は格好良くないとの価値観が生まれたのです。農耕と遊牧は拠って立つ生活背景が異なっているので、遊牧と言う生活から手に入らない野菜、穀類などは食べようがないことに改めて気づかされます。


雪害の時には、中国から略奪などによっても小麦粉を入手し食べて命を繋いだと思うのですが小麦粉の消費は乳、肉に対して補助的なものといえましょう。乳製品、肉が遊牧の食の根幹として、健康を維持してきたのです。人は生きている土地にあるものを最大限に工夫し、加工し、保存しつつ食べてきたことを考えると、日本の食は戦後に本当に凄まじい勢いで拡大し、変容したと思わずにいられません。それが果たして幸せなことなのかどうか。食のワールドカップ状態は脆い平衡のもとに成り立っています。

 そして、近年日本人の健康を脅かしているメタボリックシンドロームの背景には、仕事のストレスのほか、運動不足と、食べ過ぎです。西洋式の肉料理に食欲を覚えても、消化吸収の遺伝子は結構困っているのです。モンゴルの食の姿勢として良く噛み、食べ物のすべてをしっかり食べる。これはまさしく物を食べるということが、生命を無意識であっても確実に受け継ぐ行為であることを認識しているからでしょう。

 そんなモンゴルに今年も出かけますが、草原で夜に焚き火を見つめていると懐かしい人が時空を越えて訪れてくる気がします。そんな土地がまだこの地球上にあることにほっとします。
ではまたお目にかかりましょう。ご愛読ありがとうございました。


 

 

《プロフィール》
いしい さとみ
北海道在住。酪農学園大学大学院博士課程修了・農学博士。
北海道大学大学院文学研究科修了・文学修士。
現在、酪農学園大学酪農学部食品科学科助教授。専門は微生物学・栄養学・文化人類学。遊牧民宅で数回の住み込み調査を行うほか、民族飲料「馬乳酒」の持つ機能性について研究中。著作にアジア読本シリーズ「モンゴル」、「チーズの文化誌」(ともに河出書房新社)共著、「食と大地 」(ドメス出版)共著、「食文化入門」(弘文 堂)共著など