第10回 とっておきのウマの話
                 酪農学園大学酪農学部食品科学科助教授 石井 智美 氏 

 

《プロフィール》
いしい さとみ
北海道在住。酪農学園大学大学院博士課程修了・農学博士。
北海道大学大学院文学研究科修了・文学修士。
現在、酪農学園大学酪農学部食品科学科助教授。専門は微生物学・栄養学・文化人類学。遊牧民宅で数回の住み込み調査を行うほか、民族飲料「馬乳酒」の持つ機能性について研究中。著作にアジア読本シリーズ「モンゴル」、「チーズの文化誌」(ともに河出書房新社)共著、「食と大地 」(ドメス出版)共著、「食文化入門」(弘文 堂)共著など

                           
 

 モンゴル遊牧民にとって、ウマは特別な存在です。ウマと少年の交流を描いた「スーホーの白いウマ」は日本でも広く知られているお話ですね。余談ですが、遊牧民はらは日常生活で走るということはほとんどありません。走るのは「ウマに乗って走る」意味合いが強いようです。

 最近草原ではバイクが憧れの乗り物になっていますが、ガソリン(モンゴルではベンゼン)が無ければ走れません。ウマは草原の草をはみ、ウマの食糧を心配しなくても草原では移動が可能です。日本でガソリンの価格が急騰していますが、モンゴルも同様で、ウランバートルではタクシーが姿を消したそうです。 ウマに乗る遊牧民の姿、それは惚れ惚れするような姿です。ウマは両脚の腿でしっかりと締めて乗るのですが、上体がぐらつきません。

  モンゴルのウマはサラブレットのように足が長くはありませんが、耐久性に優れ、とても利口です。草原では蹄鉄を打つことはありません。お酒に酔った主人が乗ると、鞍から落ちないように気をつけながらちゃんと自宅に帰ります。そして道に迷ったときは「ウマに手綱を預けろ」といわれています。草原の暮らしの機動力、パートナーとして長い付き合いなのです。モンゴルでは多くのウマが飼われていますが、各ゲルで自家のウマの中からこれはと見込んだウマを乗用に仕込みます。ウマを捕まえるときにオルガという長いウマ取り棹を片手に持ちウマに乗って追いかけますが、棹は驚くほど重く、かつスピードが要求され人馬一体となるのです。

 ウマの調教師はモンゴルではとても尊敬される職業です。草原で調教師さんがいると聞くと訪ねてきました。みなさん、いい生き方をしてきたことが伝わってくる魅力的な方で、営々と培ってきたウマに対する思いを感じます。乗馬に関わる道具もすべて手づくりです。ナーダムで90年代に全国大会で伝説的な優勝をしたウマは、帰路に車に接触して亡くなる不運に見舞われました。その勇姿は、哀悼の意とともに今も語り継がれています。

 モンゴルのウマのお話をもうひとつ。ベトナム戦争のときのことです。モンゴルから北ベトナムへの支援に、たくさんのウマが送られました。そのうちの一頭が、ヒマラヤ、ゴビの砂漠を越えて育ったゲルまで戻ってきたことにモンゴル中が沸いたそうです。ウマも帰りたくなるほどモンゴル草原はいいところだとこの話は結ばれています。どのように戻ってきたのでしょう。モンゴルでは皆さん、天性の詩人ではないかと思うほど朗々とお話をします。それはそのまま詩を詠むように聞こえるのです。もう少しで子馬が生まれ、草原にも遅い春がきます。