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平成10年に掛川光陽の里が造成されて*今年で12年が経ちました。
たかが10年位のことで昔というのもなんですが、十年一昔≠ニいうことわざもあります。
脱サラして光陽の里へ入植?して12年、当時を振り返って現在の光陽の里・樂農会の今を考えるのも又楽しいと思い筆をとりました。
*ナショナルの横の池之谷池(ここに光陽の里の水源 ポンプがある)に「光陽土地改良記念碑」が建ってい ます。黒御影石のりっぱなものです。それによると
平成10年3月31日完成、全体28f、耕作農地17f、52名の土地地主、理事の名前等が刻んであります。
南風園の宮城正雄氏の肝いりで、ここ光陽の里を" 学園花の村"の実顕農地として、空いている農地を一括して地主様から借りうけることが決り、そのうち1町歩ほどを第1号として借りうけることが出来たことは、今考えてみるといろいろな人のお蔭の上に成り立った実に奇跡的な幸運に恵まれたとしか思いようがありません。当時、まだ農地法の規制も厳しく全く縁故のない貧しい普通の勤め人が広い土地を借て農業を始めるなど思いもよらぬことでした。
脱サラ百姓を目指して中国地方や九州など過疎地を休みの日に見に廻ったことを思い出します。
そうした折、全く偶然に掛川光陽の里で花の村≠ェ耕作者を求めている情報が入り、すぐ合戸にいらした花の村入植者第1号で、すでに実績を積んでおられた池守さんをお訊ねし、次の日に現場を案内していただき、その日に1町歩ほど借りることを承諾いただきました。
当時開墾されたばかりのこの土地はセイタカアワダチ草も生えず、荒地とポツポツと雑草が生えている状態で、今もやっていらっしゃる枝村さんのイチジク畑と前の地主の松本三蔵さんの畑にやっと緑が見える位でした。今は立派な茶畑になっている加藤利夫さんの茶畑もまだ茶の木も植えられておらず一面にソルゴーが繁っていたように思います。
第1号として脱サラ百姓が始まりました。当初、掛川の地場産業野菜の産地として近隣の食糧供給基地を目指して専業の入植者をと思っていましたが、花の村会員以外の耕作者がなかなか集まらず、それならこの広い土地の特長を生かして全国でも例がない1区画1反歩の広い家庭農園で西洋の三圃式農法で全部を一遍に耕さず、空いた土地に緑肥を植えて土作りをしながら季節に合った作物を広い土地であくせくせず作る市民農園を作ろうということになり、奈良で自然農≠実践していらっしゃる川口由一さんをお招きして掛川の学習センターで講演付のビデオ会で会員を集めようといろいろな人が苦労されました。
苦労の甲斐あって、それでも11名ほどの申込みがあり、翌日皆様に現場に集まっていただき借りた一部の1町歩ほどを、当時地元で花の村の世話役をしていただいていた各和の桑原様が歩測して竹杭で区分けして、くじ引きで振り当てしたことを思い出しました。この当時の仲間もほとんどいなくなりましたが、今でも80歳で一人頑張っている鈴木淳子さんがいらっしゃいます。
その後、ボチボチ申し込みはあったのですが、なかなか全体が埋まるほどの人が集まらず、草ぼうぼうにしておくのは地主さんに申し訳ないので、宮城さんが今でも少し残っていますが赤いカンナを植えようということで、カンナの苗を作り、一人で一つ二つと植えられ見事な花を咲かせるようになりました。
そうこうするうち、私の畑のことが中日新聞の西部版に紹介され、それを見られた地球村の仲間が数十名耕作されるようになり、ほぼ全部耕作できるようになりました。以後、いろいろ交代がありましたが、現在は地元の近隣の方々で耕作していただけるようになっております。出来た農作物も農協の直売所、道の駅等で売できるようになり、(次頁に続く)
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