| 人間のやってはならぬ 神の領域
鳩ヶ谷市 岡田 博
原子爆弾も原子力利用も人間がやってはならぬ行為です。その認識から出発しましょう。
「原発問題」にご意見をのお便り拝受、便箋へ書くと長舌になってしまいそうですので、葉書にしました。
人間の技術の向上、化学・科学研究の深化・人間の生活環境の向上発展を、天地と神が人類へのみ許したというか依託したことのように受け取っての、無限の進化と拡大は、越えてはならぬ「矩」を破った行為として反省すべきと前々から思ってきました。
仏教には「禁欲的精励」が説かれ、「戒」人間のやってはならぬ行為を諭されました。
二宮尊徳先生は「分度」を、富士講・不二道では「不足」をと、「これ以上やってはならぬ限度」を示されました。孔子は「己の欲する処を行いて矩を越えず」と申されました。これらの「戒・分度・不足・矩」を人類の良心として、「人間のやってはならぬ神の領域」と考え「禁欲」にもどるべきです。
展望あるエネルギー政策と真剣な国民の協力
掛川市 みぞぐちおじさん
原子力は国土の狭い地震国日本を支えるエネルギー供給源にしては危険すぎる。火力発電並みの絶対安全施設を作れるならば、電力の大消費地である首都圏はじめ大都市近郊に原発を作ればいい。送電のロスも送電施設経費も少なく消費地に安定電力を供給でき、過疎地を選んで作る必要はない。一番危険な浜岡が運転停止になったことは評価するが、国家のエネルギー政策が確立しなければまた、うやむやのうちに再開するだろう。
産業界をはじめ、一般家庭が真剣に節電、省エネを考えて行かなければならない。その間必死に代替エネルギーを研究開発して、世界に発信したらいい。原発も完全廃止ではなく、安全なエネルギーにするべく研究施設としても必要なので安全な何基か残しておく必要はある。
ニュージーランドは国民が原発を拒否している。電気料は高いがその分節電して会社は5時定時前に終業するところも多く、社員は早く帰宅してヨットなどアウトドアで楽しんでいる。商店も6時ごろに閉めたり、コンビニはないし派手なネオンも、ギンギンに明るい街もない。
アメリカでもオレゴン州は唯一の原発を廃炉にした。国民も使いたい放題エネルギーを消費してきた生活から脱却することができれば原発も不要になるだろう。
原発問題から考える
● 大量消費と一般消費の分離
● 目を向けたい小水路発電
小田原市 山田 純
原子力でも火力でも、大規模の水力発電ダムでもなく、エネルギーを確保していくには、自然エネルギー分野を発展させていくよりほかない。自然エネルギーについては、風力、太陽光、ダムのほか、波力、潮汐、地熱、中小水路、バイオマスなどがある。これらは、基本的に自然に依存するため人為的にエネルギー生産を増大させることが難しく、また、総量を上げていくには、面的広がりが必要で、そのため分散的な立地となるという特徴がある。そのため、一箇所で超大量のエネルギーを使う大産業や大都市にとっては、そぐわない面が出てくる。また、そこに向けて大電力を供給する事業を、資本主義的形式で行う場合には、その事業にとって必須の利益の出ない技術形態ととらえられ、敬遠されるのが一般である。
しかし、大都市から離れて暮らす多数の住民の暮らしを中心に考えるなら、自然エネルギーを組み合わせて使えば、必要に照らしても、家計に照らしても、支障のない形が作れる。だから、この問題を議論するときに大切なことは、大産業や大都市が必要とするエネルギーと一般の住民の暮らしに必要なエネルギーを分けていくことだと思われる。そして、この分離を実体化するには、現状の発電・送電一体の地域独占形態を打破し、さまざまな発電事業体が発電事業に参入できる形にしていく必要がある。
一般住民の暮らしに立って自然エネルギーを考えるとき、私は、自然エネルギーの代表のようになっている風力や太陽光よりも、小水路発電の可能性にもっと目を向けてほしいと考えている。
古来の稲作文化のおかげで、日本中に水路がはりめぐらされ、しかも、列島を貫く脊梁山脈を源に急勾配で海に流れ込む形になっている。発電以外にも多様な利用の可能な淡水が、暮らしの近くで得られるという、世界屈指の分配密度の高い構造をそのまま生かすのである。小水路発電については、さまざまな高度技術が提案されているが、現状では高価。むしろ、水車発電に面白味があると思っている。関心のある方は、久留米の水車大工瀬野秀拓さんの作る水車を見てほしい。資本のないラオスやカンボジアで集落に必要な電気を立派に供給しているのだ。
大産業や大都市は近代そのものといってもよい存在だが、持続可能性を脅かす魔性のリスクが宿命的につきまとい、真の豊かさや幸福とは何か、真の生産とは何かという問いには、まともに答えることができないできた。さすがに今度の事件を契機に、リスクが大きすぎるなら、大産業、大都市についても、総エネルギー抑制、エネルギー安全化の観点から、一定の制限を設けざるをえないという議論が出てきたように思う。今後、脱近代に向けて厳しい検討が加えられていくことになるだろう。また、そうでなければならない。
暮らしのエネルギー消費を抑制していく上で私が大切だと考えているのは、暮らしが必要とする物資すべて、また、住居そのものの天然素材化、地産地消化の方向である。例えば、住居建築では、断熱化技術が発展してきたが、地下の地温、水温を家の中に取り込み、基本温度が熱すぎも寒すぎもしない構造にしていくことが大切だろう。これは先祖がしてきたことである。ただし、天然素材の多くも有限で、蕩尽は避けなければならない。上手な利用は欠かせず、近代科学の機械的な排斥は当たらない。その一方で、多様な素材の混用とか、カスケード型共同利用とか、コジェネレーション化とか、中世にあった、天井・畳床・塗り込め壁による小部屋化、数寄屋建築化という日本建築史上の大転換に匹敵する、歴史的な転換が今後二・三百年の間追求され、技術的な開拓がなされていかなければならないと思っている。また、それには、市場価格とか効率とかに振り回されない頭、技術の質を問い続ける頭が肝要と思っている。
追記 南足柄に続き、小田原でも茶葉にセシウムが基準値を超えて検出されました。農の会のお茶も生産が中止、今後、野菜とか米にも影響が出てくると思います。二種兼業とか専業農家よりも蓄えが少ない、また、正規の農家とも認められていない、専業市民農の多い農の会にとっては大打撃です。皆様の議論を期待しています。
無駄な細工
栃木県茂木町 笹島 保
東日本大地震の直後、自衛隊ヘリコプターが東電福島原発から立ちのぼる煙に注水していた。放射線の壁を冒してゆく姿は、対空砲火の弾幕を冒して突っ込むかつての特攻機さながらだった。このように命がけで行われた注水とは大きな山火事の際と同じく機上に積んでいっただけの水をジャーッと空ける手仕事の作業だった。
その手仕事が目標とした原子炉の中で動いていたのは、量子力学の原理に支配される世界であった。これに対し冷やす、流す、飛ばす、閉じこめる、固める、などの作業は皆ニュートン物理学の原理にもとづいている。だから原子炉の動きをコントロールできず、メルトダウンなど思いもかけぬ状況変化が次々におきているではないか。
立てこもる犯人に「むだな抵抗はやめなさい」と警察が呼びかける図は、よく見られる。これにならって、原子力を次元の違う原理で押さえ込もうとする発電利用は、「無駄な細工」ではないか。いいかげんにやめなさい。
増税への世論操作を見破ろう!
生活革命を小農で実現!
宮崎市 津野幸人
いまや、ノー原発・イエス自然エネルギーといった世論が盛り上がりつつあります。また、一方では首相の判断で浜岡原発の停止が要請され、これに伴ってエネルギー需要のピークを乗り切るために、15%のエネルギーの節約も国民に要請されています。これらは「多量のエネルギー供給無しでは、生活がこれだけ不便になるぞ。」という巧みな世論操作だと私には思えます。さらに、在野の学者の間からは、原発コストの上昇とクリーン・エネルギー推進のデータが提供されつつあります。これにも大きな事実の見落としがあると考えます。
新規事業の採用や技術開発には、コスト計算は意識的に排除されて、それが社会の経済発展にどれだけ寄与できるかといった立場が重視されるのです。一例ですが、首都圏での新国際空港の開設計画では、東京湾内での埋め立て案も検討されました。ところが、これでは浚渫業者の儲けしか出ません。広範囲の業界が利益配分に与るために現行の成田空港の開設が強行されたわけです。
技術開発については医療技術を例に挙げます。これは、途上的技術と純粋技術に区分され、前者は臓器移植や人工臓器開発です。一見最高の技術に見えますが、内容は延命技術であります。純粋技術は病気の原因が究明され、完全な治癒や予防が当然となったもので、医学の到達点です。このコストは大変安いものですので、医療現場では費用のかかる途上的技術が歓迎されています。
エネルギーに関していえば、原発も自然エネルギーの工学的利用もともに途上的技術であって、未完成で開発・応用には莫大な費用が掛かるのです。当然ながら、経済発展に寄与します。医療技術には非技術という分野があります。これは、患者に励ましの言葉をかけるという心のケアーで、費用は掛からないが現場では大きな効果が認められています。
この非技術の意味するところを考えてみようではありませんか。エネルギーは工業にとっては食べ物です。これ無しには工業は発展しません。工業の利益で我々の食糧を外国から買うという国家の体質を変えない限り現在以上のエネルギーが必要です。工業へのエネルギー供給は「増税」でまかなう以外に道は無いのです。
わが国でのエネルギー革命は食糧自給から始まるのです。市民が自分の食糧は自分が作る方策が最高の省エネとなるのです。まさに非技術ではありませんか。私たちは、小さい農業で生活革命を達成しましょう。農業はそれ自体が自然エネルギーの利用です。工業が縮小しても困らない「国体」を作りましょう。「学園花の村」に栄あれ。
央尚のぶらりぶらり(七一)
―茜田の坂―
横浜市 橋 央尚
故郷は西伊豆の一隅にある。茜田の坂はその背山の登り詰めに近い。かなり過疎の半農半漁集落だが後輩諸氏が棚田を守つている。お蔭で山田洋次監督などの委員会が日本の村百選に取り上げて呉れた。この坂から駿河湾越に御前崎を望む。浜岡原発はここにある。
以前からこの浜岡だけは絶対反対だつた。単なる地域エゴだけではない。風はいつも西から吹く。おそらく京浜という日本の首都圏に放射能を降らすだろう。また静岡県は山本敬三郎知事のころから東海大震災を予期した防災活動に入つていた。これは当時日本でも画期的とされ山本さんの県議立候補の時から応援して来たわれらも共感していた。
今の川勝平太知事も浜岡は反対だと信ずる。中部電力の水野明久社長の発電停止報告に運命共同体と仰つたらしいが震災対策を深化させているこの県の戦略に沿うて欲しい。今日の新聞に(ほとぼりが冷めたら稼動するだろう 藤原康男)という川柳が載つた。これをきつぱり止めてほしい。
地震の可能性を警告した先生方も決断を余儀なくされた総理にも敬意を覚える。ただこの地区で仕事を失う方々のための助成事業には力を添えていただきたい。
福島を聞いた時は情けなかつた。かつて子供のような好戦的リーダーに駆り立てられたわれら国民が世界史史上始めて原子力の犠牲になり、戦後も久保山さんたちが太平洋で被曝した。その国が懲りもせず放射能禍か。
これも民主主義下ではわれらの責任だといわれれば素人ながらここらで考える。
誰でもわれらの手に負える自然循環型エネルギーと省エネに頼つて生きる理想を持つていることは疑わない。原子力に頼らない国々の紹介もよく聞く。もちろん素人の思いつき程度だがまず箱根や伊豆の地熱が利用できないか。初期投資が大きいなら静岡県を特区として外に風力、太陽光、潮力利用も合わせて国の試行地区にしたら如何。そしてローカル供給力ができればよいのではなかろうか。
わが国の原発輸出策は躓き原子力政策も白紙から見直されることになろう。われらの日常もここらで転換するのだろう。
泉への道後れゆく安けさよ
石田波郷
知足というかこんな生活実感か。
ここで原発について科学者のいうことも聞いてみたい。
以下「知致」誌六月号の古川和男先生から。 まずこの程度の放射能では恐るるに値いしない。人類は放射能と共生して来た。過去地球には天然の核分裂炉というべき現象があつた。核分裂は本来自然現象でありその原理に随つて上手に扱つて行けばよいのだという。
先生はこれも核融合エネルギーだが最終的には再生太陽エネルギーを産業技術にすることを地球は求めざるを得ないとしながらそれのできるまでの繋ぎは原子力だという。
そして今の軽水冷却炉が冷戦時の落し子で後始末が疎漏であつたと。その時至上命題だつた原潜も出来、軍事より安全が命題になつた今日、漸くそのころ開発されていながら封じられた液体燃料のトリウム溶融塩炉が関心を喚び始めたと仰る。
この溶融炉の長所をいろいろ揚げておられるが、この開発にも国の後押しが乏しいらしい。先生は ら海底に眠るメタンハイドレートの開発など俄かに採用できないにしてもなぜ政府が支援できないのか。境界水域での中国による天然ガス掘削などこの政府の力を疑いたくなる。この溶融塩炉もいち早く上海のグループが本格的に取り組むことを公表しているという。
先生はある時期が来たらこのトリウム利用も縮小後退すべしと仰る。文明の営みは百年か二百年の歴史ゆえ次の時代には新たな宿題が出るべきと。そして今回の原発事故は行き詰まつている世界のエネルギー戦略を見直す契機になり得るかも知れないといわれる。(「松の花」に掲載)
「東日本大震災にさいし
原発問題を考える」
茅ヶ崎市 野口幹夫
原発事故が明らかになった夜、私は首相官邸と民主党のホームページを開き、連絡版に書きこみました。「これで民主党のグリーンエネルギー政策が逡巡することなく進められることになりました。今こそ原発に依存することなく自然エネルギーの促進をしてください。」
それから時間がたつにつれ深刻な事態になって行きました。アメリカにいる家族からは、神奈川在住の子持ち家族に電話をよこし関西の親戚に避難するように勧めてきました。ちょうどこの3月末に日本の全寮制高校に娘を入学させるべく準備をしていたのですが、無期延期させてしまいました。こちらはそのころすでに福島原発が1号機が、あってはならないメルトダウンまでおこしていることも知らず、「100kmもはなれているのだから大丈夫だよ、大切な高校入学のスタートを遅らせるようなことはしないで。」と帰国を懇願したのは愚かしいことでした。死の灰は100kmどころか、はるかフランスまで届き世界を一周し始めていたのでした。
原発の仕事もしていた電機会社に勤めていた私ですが、原発関連の部品材料を受けるときは、これまで使ったことのない高精度の電子顕微鏡を導入してまで欠陥のない証明をしなければならないことになり、原発は大変なことだと身にしみて感じていました。それから10年ほどたって世界の情勢が変わり大学の工学部から花形だった原子力工学科が消えていったのです。
学生も集まらずニーズも無くなりつつあったのです。本格的な技術者のいない原発が暴走し始めたのです。東海村の原子力燃料会社で起きた臨界事故はその技術不在の原子力事業の怖ろしさを証明しました。
原子力をやめさせようの行動の輪に加わろう。新聞で柄谷行人も参加したという原発反対デモも報じられました。浜岡原発のひざ元で学園花のむらでも停止運動を起こそうとしていることを知りました。間一髪で菅総理の停止要請が出て止まりました。しかし全国には原子力発電所だらけです。危険は薄らいではいないのです。
私も何か行動に移さなければと思案し、一つの決心をしました。原発からの電力を使わないことにしよう。我が家の空いている屋根に太陽光発電をつけ、電気だけは自給自足に近づけよう。と決めました。不時の備えにととってある資産を思い切って取り崩し、太陽光発電に投資しようと決心しました。幸い心配性の妻も賛成に回ってくれました。調べてみると恥ずかしい私の無知がわかりました。民主党政権になってからかもしれませんが、政府は2009年末から本格的な太陽光発電の助成政策を始めていたのです。国と県、市3重の設置補助金を出し、また太陽光発電の電力を高額で買い取る政策です。東電から我々がかう電力は22円~24円ですが、光発電で余った余剰電力は42円で東電が買い取るのです。
この逆ザヤは大きな助成策です。これで太陽光発電の需要が急増して価格の急落を促すためなのです。いわば今はそのオトリをしかけているのです。それにのってやろうではありませんか。乗っても悪くないとみたのは、この制度でこれまでは20年はかかるとみられていた回収期間が10年以内に短縮されていたのです。
やってみるとそのほかに付帯して良いことがふたつほどあることに気づきました。メーターが新設され、発電と使用の電力をリアルタイムで行うことになり、おそらくいままで気付かなかった電力の無駄を退治できることです。それからこれから10年は、屋根をこのままで維持し、累積の効果を見届けなければならぬと新たな長生きの目標もできたことです。さまざまなやり方で原発を追放していく運動に参加しましょう。
「原子力と拝金主義」
小田原市 笹村 出
小田原市の茶葉がセシウムで放射能汚染してしまった。様々な説が出ているが、箱根の東斜面の一定の高さに濃度の濃い放射能雲が、流れてきた可能性が高いようだ。遅くなってしまったが、農の会では測定機を購入して、計測しようということになった。
あしがら農の会の理念『地場・旬・自給』が問い直されている。エネルギーという側面からこの理念を考えてみると、「地場は」、フードマイレージが小さいと言うことだろう。「旬は」、暖房ハウス栽培のようにエネルギーを使う農業はしない。「自給は」、まず自分の食糧を自給することが、エネルギーを消費しない暮らしと言うことに成る。
20年前から消費的でない暮らしを提案してきたのが農の会の理念である。原子力発電の要らない暮らしを、食糧生産の側面から提案してきたということになる。今回の福島原発の事故は、日本人にこの国の方向を、問い直している。経済性だけで、国の方角を決めてきたことが破たんへの道だったのではないか。拝金主義の思想を乗り越えられるかである。人間1人は100坪の土地で、食糧自給は出来る。1反の土地があれば、家族が暮らして行ける。
浜岡原発の停止について
三島市 堀内永人
「『経営について政府に文句を言わせない。尻ぬぐいは国民の税金で』こんな身勝手がまかり通っては民主主義が泣く。東京電力を救うなら全ての民間会社に適用すべきだ?????」
と損害補償についての東京電力側の態度に、怒りを見せた主婦の意見である(五月十四日(土)、静岡新聞『ひろば』欄)。
菅首相の要請に対して、中部電力は浜岡原子力発電所の運転を停止した。
多くの人は、ホッとしていると思う。私も、もろ手を挙げて賛成とは言わないが、まずは良かったと思っている。
日本経団連の米倉会長は、「電力不足にともなう生産能力低下、経済力の後退が予想される」と言って、菅首相の政治判断を批判していたが、何ヶ月間も、いや数年間も避難所生活をしなければならない現実を見れば、管首相の政治判断が正しいことがわかる。
企業は、人命よりも利益を優先する利己主義を第一義とする。原子力の活用が、国民生活にとって必要だとしても、「無辜(むこ)の民」を犠牲にすることは、絶対にしてはならない。
原子力発電所は、国も電力会社も耐震設計をして、固い地盤の上に建設すれば、安全だといってきた。浜岡原発は、一八五四年に発生した安政地震を基準にして対策がとられていて、宝永大地震(一七〇七年)により、二メートルも遠州灘海岸が隆起したことは、考慮していないようだ。東海地震が起これば、どんな地殻変動が発生するかわからない。
中部電力は、「そんな昔のことは想定外」といって、済ませるつもりだろうか。
浜岡原発停止は、正解である。
アメリカのディズニー映画『海底二万哩』のネモ艦長が、基地バルケニア島の大爆発により、原子力潜水艦「ノーチラス号」とともに海の藻(も)屑(くず)となるシーンを思い出した。やはり原子力発電所は、避けるべきだ。
「あきらめ」より「覚悟」
京都市 森 孝之
東日本大震災があらわにした重大な人災・原発問題で残念でならないことがあります。計画停電などが騒がれていますが「あきらめ」ムードが漂っていることです。どうして私たちは、「覚悟」をする道を選んでおけなかったのか。悔やまれます。
つまり、原発の是非が問われていた時期に、私たちは想像力をたくましくして「覚悟」する道を選んでおくべきでした。原発を拒否し、計画停電や節電努力を覚悟する道を選んでおれば、原爆で被災した唯一の国の考え方として世界は尊重し、「さすがは日本」「日本人らしい」と眩しい目で見ていたに違いありません。
驚かされたこともあります。原発推進派が想定外という言葉を多用したことです。また、30億円もかけた事故用無人ロボットを捨て置きながら、このたびアメリカから借用していたことです。さらに、東電はM9を想定した学者などの意見を採用していなかったとか。
実は、このたびの大震災を私は東京八重州口にあるビルの13階で体験しました。その後わけあって、車で茨城県に向かい、強い余震が続く東海村で一夜を過ごしています。津波の恐ろしさは、翌深夜にたどり着いたわが家のテレビで知っており、その時に「これを機に日本は生まれ変わらないと、犠牲者が浮かばれない」と考えています。さまざまな経済的資産が、ことごとくゴミという負債に変わり、大勢の方が命を落とされた光景です。
「明日は我が身」と私は身構え、翌朝から我流の耐震工事に手を付けました。そして「必ず日本人は立ち上がる」と心に言い聞かせています。しかし、「復旧では未来はない」と考えました。これまでの日本人並みの生活を、地球上のすべての人が真似ると、地球が2個あっても足らない、と知っているからです。また、大津波でこの有様なら、ミサイルを打ち込まれたらどうなるのか。容易に想像できます。新生日本が望まれます。
今からでも遅くはありません。「日本は一つの地球で済む生き方に転換する」との国是を定め、世界に向かって掲げてはどうでしょうか。復興には、膨大な経費や資源だけでなく、遠大なる時間も必要でしょう。これらを投じて、東日本の復興を、この国是実現の第一歩にするのです。日本は地震の巣窟です。そう遠くない未来に、関東や東南海なども激震に襲われないとは限りません。それを「日本は好機とする」とばかりに腹をくくり、やがては国全体を一つの地球で済ませられるように仕立て直すのです。
もちろん、これを機に自衛隊を災害救援隊に生まれ変わらせるべきです。世界は大地震の活動期に入っているようです。その救済も国是に含めるのです。パラシュート部隊も、武器に変えて医薬品や水などを背負い、被災者のもとに舞い降りる部隊に衣替えするのです。そして、天災が生じるたびに世界の災害救援隊として出動し、実績と実力を積み重ね、世界からあてにされる国となり、不可侵の対象にしてもらうのです。ならば、わが国の若者は、大勢が入隊し、世界になくてはならない国をめざして心血を注ぐでしょう。
わが国は国土が狭くて天然資源に恵まれない国といわれますが、決してそうではありません。それは一瞬にして負債にかわる経済的資産に偏重した考え方です。日本は元来、美しくて豊富な水を得られる美しい環境的資産と、並外れて忍耐強く、統制の採れた人的資産に恵まれています。今や真水は、石油以上の戦略的資源になりつつあります。
半世紀前の私は、のどが渇くと小川の水で潤しました。それまでのわが国は、いわば大量のミネラルウオーターを海に流しさっていたような国でした。その水を、今では1リットル10円、50円などと換算できる時代です。美しい水を取り戻せる国にすれば、日本は国家予算に相当する収益を何ヶ月かの真水の輸出であげられる計算です。
なにも昔の生活に立ち戻ろう、と言いたいのではありません。「古人の知恵」と「近代科学の成果」をうまく組み合わせ、太陽の恵みを巧みに活かせば、わが国は自然豊かな超近代国家に再生できるのです。私はその国家を夢見て、40年ほど前から試行錯誤を繰り返してきました。それは、農的事例の一つに過ぎませんが、手応えを感じています。
「この生き方ができるならもう一度生まれ直したい」と私は思うまでになっています。もっとも妻とめぐり合うことが前提です。妻も、この生き方なら「もう一度生まれ直したい」といっています。ただし、相手は私とは限らない、とうそぶいているだけの違いです。それは、その気になれば誰にでも手が出せる自然循環型の生き方です。わが国の限界集落や耕作放棄地などを活かせば、たちどころにこのたびの被災者を吸収し、その日から生産的活動に勤しんでもらえる生き方です。
もちろん強制はできません。この生き方の希望者や家族を、つまり部分を国が全面支援し、残る大部分がその負担を分かち合うシステムを構築すればよいのです。それが国是の根幹です。つまり、これまでの社会は、資源は掘り出し得、水や空気は汚し得の自然ドロボウ社会でした。それを自然循環型のフルコスト社会に転換し、部分を支える資金を捻出するわけです。たとえば、美しい環境的資産を向上させる生き方、自己完結能力を高揚する生き方、あるいはそれを支援する企業活動などを奨励する税制に抜本改革し、震災のたびに新生日本に近づけられるようにするシステムに改革するのです。
このたびの重大な人災を機に、日本が率先して新生日本を目指す動きを始めたら、世界の若者が希望を抱き、明るい未来を展望し、新世界を切り開こうとするに違いありません。
東日本大震災にさいし
原発問題を考える
掛川市 桑原達美
東海地震の震源地に住む私も地震の恐怖は知らない。台風は伊勢湾台風で実感はあり天気予報は気になる。地震・津波・台風は日本列島の宿命であり、長い歴史の中では多くの経験を重ね命を守る術を地域でそれぞれの文化として伝承してきた。東北地方では3・11の地震・津波の体験は語り続けられるだろう。東北地方以外でも自然の猛威から命を守るそれぞれの地域の「術」を共有しなくてはならないし、東北地方を応援したいと思っている。
自然と共生し困難をのりこえてきた「文化」があるかぎり3・11も乗り越えていくと信じている。
気がかりは自然との共生ではなく、自然を支配しコントロールできるかのごとく考える「文明」であり、この「文明」こそが豊かさを提供してくれるという発想である。科学技術がどんなに発達しても自然の力の前には未知である事を原発は教えてくれた。
今、福島県で起きている状況で20q圏内・計画的避難区域で人がいなくなった地域の農地や山林がどのようになるのか気がかりでならない。人の手が入らなくなった農地が一年でどうなるか体験で知っている。悪夢から一日も早く目覚めなくてはならない。
たしかな「モノ」は家族・地域の人たちとの絆である。
一歩一歩前に、之からの日日過ごそうと考えている。
科学技術の方向性に?
掛川市 松井道夫
ソビエト連邦の崩壊の原因の一つにチェルノブイリ原発事故がある、とまで言われていたのに何の反省もなく突っ走ってしまった私たち人類のおごりが今回の福島原発事故である。原子力発電にとどまらず科学技術全てを見直すべきである。多分、こりもせずに原子力の放射能汚染の除去技術などは飛躍的に進むであろうが、一番大切なのはその方向性の見直しである。
ソビエト連邦崩壊の原因を探ることなく、わが資本主義陣営の勝利などと浮かれていたが、あれは単なる情報公開による権利と利権の衝突による自壊作用でしかない。我々資本主義に潜む危険性にもつと目を向けるべきである、と主張したが無視された。ルネッサンスは人間解放、欲望解放だった。それに対する神の審判が下ったのか?
日月神示の読み直しが必要かもしれない。
|